ニュートン
【にゅーとん】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
イギリスの自然科学者であり数学者で、万有引力の法則を発見し、近代の大科学者の一人と評されているニュートン。彼は、ときに錬金術師といわれることもあった。ニュートンの八〇年を超える生涯を調べてみると、前半と後半で奇妙な対照が見られる。ニュートンは、生まれる三カ月前に父親が死去し、母親も新しい夫となる人のもとへと嫁いだため、祖母に育てられた。幼少時は体も小さく、内向的な目立たない子で、格好のいじめの的であったという。しかし、あるとき、いじめた少年と喧けん嘩かをして勝ったことで自信をつけ、勉強においても才能を伸ばしていったという。一六六一年、ケンブリッジのトリニティーカレッジに入学したニュートンは、デカルト、ガリレオ、コペルニクス、ケプラーといった、当時の最先端をいく物理学者たちによるアイデアを好んで学んだ。そして、一六六五年に二項定理を発見して数学の理論の構築をはじめ、微分を発見し、後に微分積分学へと発展することになった。同年に学位を取得するが、その後ペストの流行で大学が一時閉鎖されたために故郷に帰ることになる。リンゴの木の下に座っていたニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を思いついた、という有名な逸話はこのときのことである。ただ、この話は、ニュートンの家の窓からリンゴの木が見えることからつくられたつくり話であるようだ。一六六七年、ニュートンはケンブリッジ大学の教授となるが、できるだけ人との交際を避け、研究室に閉じこもり、孤独な研究者としての生活を送っていたという。しかし、晩年のニュートンはケンブリッジ教授の職を投げ出し、造幣局の幹事や政治家を歴任。神学や錬金術にも強い関心を持っていたらしい。しかも手稿や蔵書目録を見ると、余技としてではなく、錬金術、神学、キリスト教的年代学は、力学や光学に劣らない学問の本質的部分を示していたことがわかっている。「トリニティー」(三位一体)を名乗るカレッジで、異端児といわれる立場になる。この秘密を隠すために、ニュートンは孤独な研究者を装っていたのかもしれない。同じケンブリッジ大学出身の経済学者ケインズの言葉によれば、ニュートンは「最後の魔術師」ともいうべき存在であった。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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