ナポレオン①
【なぽれおん】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
ワーテルローの戦いに敗れ、セントヘレナ島へ幽閉されていたナポレオンが没したのは一八二一年のこと。死後の解剖で胃がんによる死とされたのだが、この死因をめぐっては、いまなお論争が続いている。当初の発表通りの「胃がん説」と、何者かによる「毒殺説」との論争だ。胃がん説の根拠となっているのは、ナポレオンの「激痩せ」ぶり。ナポレオンは、亡くなる五カ月前に突然一一キロも痩せていたことがわかっている。スイスのバーゼル大学病院の病理学者リュグリ氏らは、九着のズボンのサイズなどからナポレオンの体重の変化を推測。身長一六七センチの彼の体重は、一八二〇年には九〇・七キロもあったのに、翌年の死亡時には七五・七キロまで減っていたという。一方、昔から根強くいわれている毒殺説を裏づけるような研究発表もある。二〇〇五年、フランスの法医学者パスカル・キンツ博士がナポレオンの遺髪を鑑定したところ、通常の三七?四二倍のヒ素が検出されたという。毛髪にこれだけのヒ素が残存しているのは、血液や摂取した食物を通じて体内をめぐり、毛髪にも運ばれたことを示すと主張している。実は以前は、ナポレオン毒殺説は、パリ警視庁の法医学研究所のリコルデル教授ら三人の専門家によって否定する見解が出されていた。リコルデル教授らが放射光を使った精密解析装置で遺髪のほか、一八〇五年、一八一四年の毛髪のヒ素濃度や分布などを比較分析したところ、それら三つの年代の髪で大きな違いはないうえ、毛先から根元までほぼ均等に分布していたことが明らかになった。結果、ヒ素は毛髪の保管用薬品など、外部から付着したと結論づけたのだった。しかし、キンツ博士の発表で、再度毒殺説は優勢に立ったのだ。これに対し病死説を主張する人々は、当時はワインの樽をヒ素で消毒していたから、毛髪に残っていたヒ素はナポレオンの大のワイン好きぶりを示すだけと反論しているが、キンツ博士は「濃度が違う」とピシャリ。さて、毒殺説が有力となると、気になるのが「誰が毒殺したのか」というもの。昔からイギリスによる毒殺説がまことしやかにささやかれているが、そのほかにもセントヘレナ島に同行していた部下の一人、モントロンによるという説もある。ナポレオンは同島でモントロンの妻を寝とり、子どもまで生ませていることがわかっており、嫉妬に狂った夫が間男に毒を盛ったのではないかというものだ。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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