天気予報
【てんきよほう】
【雑学大全2】 自然 > 天候
毎日の生活に欠かせない天気予報。朝は必ずその日の予報を見てから出かけるという人も多いだろう。この天気予報、きっかけはロシアとイギリス、フランスなどが戦ったクリミア戦争(一八五三?五六年)だといわれている。クリミア戦争は、不凍港を求めて南下するロシアがオスマン帝国領を侵し、これにオスマン帝国を支援するイギリスとフランスが参戦して長期化した。それまでもロシアはしばしばオスマン帝国と戦火を交えてきたが、ギリシア独立、エジプトの反乱などで、オスマン帝国が弱体化してきたと見て取ったロシア皇帝ニコライ一世は、これを好機と見て軍隊を送り込んだ。オスマン帝国はイギリスとフランスに支援を受けてこれに抵抗したが、ロシアきっての名将ナヒーモフ提督の指揮する黒海艦隊にシノペ湾の海戦で壊滅的な打撃を受けた。オスマン帝国の屈服によってロシアの勢力が増大することを恐れたイギリスとフランスは、急いで艦隊を黒海に送ったが、その航海の途中、フランス軍の戦艦が暴風雨によって沈没してしまった。原因究明を命じられた当時のパリ天文台長のリベリエは、毎日気象を観察して天気図を書けば予報が可能であると皇帝ナポレオン三世に進言。政府はさっそく気象局を創設し、一八六三年からヨーロッパ地域の天気図が毎日発行され、警報も出されるようになった。これが天気予報のはじまりというわけだ。ちなみにこの戦争では、かの有名なナイチンゲールが活躍し、また従軍したトルストイが後に『セバストポリ物語』を記したことでも知られている。日本で初めての天気予報は、一八八四(明治一七)年六月に、当時の東京気象台が発表。内容は全国をひとくくりに予報したもので、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」という大まかなものだった。しかし、太平洋戦争末期には、そんな大まかな天気予報も一切新聞やラジオから姿を消してしまった。敵に重要な情報を与えないためという理由だったそうだ。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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