タイタニック号
【たいたにっくごう】
【雑学大全2】 社会 > 事件
乗客、乗組員合わせて二二〇八名を乗せ、アメリカのニューヨークに向けて処女航海中だったイギリスの豪華客船「タイタニック号」が氷山に衝突して沈没したのは、一九一二年四月一四日深夜のことであった。建造されたばかりの新鋭客船が処女航海で沈没し、一五一三人もの犠牲者を出した海難事故は世界を驚かせた。タイタニック号の沈没は、今日までに何度か映画化されたり小説の題材となって、多くの人の知るところとなっている。タイタニック号を建造したホワイトスターライン社は、当時白熱していた大西洋航路のスピード競争に参加するよりも、船客に快適な船旅を提供することを第一と考えていた。タイタニック号も、船室をはじめとする設備の豪華さや、船体構造の安全性に重点を置いて設計されていたのだ。タイタニック号の総トン数は四万六三二八トン、全長二六八・八メートル、全幅二七・七メートル、最大速度二三ノット(時速四二・六キロ)、定員は乗客一三二四人、乗組員八九九人の総数二二二三人である。また、二〇隻の救命ボートが装備されていたが、定員は合わせて一一七八人分しかなかった。当時の規定では定員分のボートを装備する必要はなかったのだ。四月一四日二三時四〇分、カナダのニューファンドランド沖の北大西洋を、二二ノットという高速で航行中のタイタニック号の見張りが、前方四五〇メートルに高さおよそ二〇メートルの氷山を発見した。左へ舵を切って回避行動をとったタイタニック号は、船首からの衝突は避けられたものの、右舷(右側面)が氷山と接触して損傷を受けた。氷山発見からここまで四〇秒とかからなかった。停船したタイタニック号へ、容赦なく海水が浸入し、衝突から二時間四〇分後、ついに北大西洋航路の花形と期待された豪華客船は海底へと消えていった。さて、事件後。生き残った乗客から奇妙な話が流れてきた。衝突直前のスミス船長には、進路をや速度を急に変更したり、救難信号の発信をギリギリまで拒み続けるなど、奇妙な行動が見られたという。そして、それは、タイタニック号に積み込まれていたミイラの「呪い」によるものだという噂である。このミイラは、イギリスの貴族がニュヨークに運ぼうと持ち込んだもので、紀元前一四世紀の王アメンヘテプ四世も尊敬していた女預言者のものであった。そのミイラには、「ファラオの呪い」を意味する護符が添えられていたという。
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「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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