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隅田川花火大会
【すみだがわはなびたいかい】

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日本に花火が伝わったのは、一六世紀の天正年間といわれ、一六一三(慶長一八)年に徳川家康の上覧花火をきっかけとして、江戸で花火が人気を集めたとされる。しかし、「火事と喧嘩は江戸の華」と火消の活躍ぶりがうたわれるほど江戸は火事の多い町だった。そのため花火は火事の原因となるほか、砲声と紛らわしいという理由で、江戸幕府は一六四八(慶安元)年以降、花火を制限するお触れを出していた。そんななか、一七三二(享保一七)年に冷夏と長雨、イナゴなどの大発生により西日本各地が大凶作となった。餓死者は一万二〇〇〇人を超え、二〇〇万人以上が飢餓に苦しんだ。加えてコレラまでが流行したともいわれている。江戸四大飢饉の一つ、「享保の大飢饉」である。この死者の霊を慰めようと、翌年の一七三三(享保一八)年、神田川沿いの水茶屋川開きの際に、死者の名を記した塔婆などを川に流すといった川施餓鬼をおこない、花火を打ち上げたのが、現在でも東京名物となっている両国の花火大会隅田川花火大会)のはじまりとされる。花火の打ち上げは、当初鍵屋が担当していたが、一八一〇(文化七)年には鍵屋から分かれた玉屋も加わり、二業者体制となった。鍵屋と玉屋が違う場所から交互に上げた花火を観ながら、観客は気に入った花火を上げたほうの名前を呼んだという。これがいまでも花火見物につきものの「かぎやー」「たまやー」のかけ声の由来となった。この花火大会は、江戸の時代から、明治維新、第二次世界大戦などで数度中断したものの、交通事情などで廃止される一九六一(昭和三六)年まで続けられていた。しかしその後、一九七八(昭和五三)年に隅田川花火大会という名称で再び開催されることとなり、現在にいたっている。もちろん、時代が変わっても火の危険性が変わることはなく、同花火大会では火災や事故などを警戒し、消防特別警戒態勢がとられている。


東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820744


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【辞典内Top3】

火元責任者  手のひらを太陽に  ヘノカッパ  

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「雑学大全2」東京雑学研究会

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編集: 東京雑学研究会
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