新幹線①
【しんかんせん】
【雑学大全2】 生活 > 乗り物
一九六四(昭和三九)年一〇月に開催された東京オリンピックは、戦後日本の高度経済成長を加速させる屋台骨となる大イベントだった。オリンピック招致が決定してから、いちばん問題となった点は、鉄道の輸送力だった。そのため、「東海道新幹線」構想が発表されて、東京オリンピックの開催年を目標に、躍起になって建設がおこなわれたのである。当時の世界最速となる高速鉄道の建設がはじまったのは一九五九(昭和三四)年。三年後の一九六二(昭和三七)年には試運転をおこなう線ができ、一〇月の試運転では時速二〇〇キロを達成した。そして、オリンピックイヤーの一九六四年七月に、川崎で最後のレールが連結して全線試運転をおこなったのである。そして一〇月一日、東海道新幹線は開通した。当時の新幹線は時速二〇〇キロで、もちろん世界最速。その名は世界に轟き、オリンピックで日本を訪れる外国人たちに日本の技術力を見せ付けるのには十分だった。どの国の要人も、「シンカンセン」には興味津々だったのである。そして、この「シンカンセン」という呼び名は、そのまま世界的に通じるようになってしまった。おもしろくなかったのはフランスだろう。それまで高速鉄道の技術力を世界に誇っていたのはフランスだったからである。ヨーロッパ諸国もアメリカもそのフランスの技術をほしがっているくらいだというのに、当時まだ経済大国でもなかった日本で、世界最速の鉄道をつくられては立場がない。世界最速の競争で一歩も譲りたくないフランスは、一九八一年には時速二六〇キロの高速列車(TGV)を運行させ、「世界最速」の名を取り戻した。現在、日本のシンカンセンもますます進化を見せている。東海道新幹線七〇〇系の時速二七〇キロをはじめとして、上越新幹線の時速二四〇キロ、山陽新幹線五〇〇系の時速三〇〇キロなど、営業列車の高速化へのあくなき追求は続いている。
data-ad-slot値が不明なので広告を表示できません。
【辞典内Top3】
【関連コンテンツ】
広告を表示できません。
【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
|
浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
|
出版社:
雑学大全2[link] |