角帽
【かくぼう】
【雑学大全2】 生活 > 服装
大学生のシンボルである、独特の形をした角帽。この角帽は、いわば制帽のはじまりでもあった。一八八四(明治一七)年から翌年にかけて、学生の堕落を防止するために制帽を決めることが、東京大学で検討されたのである。東京大学総長の加藤弘之の許可を得て製作されたのが、角帽であった。これは山口鋭之助が考案し、和田義睦が図案化したものである。当初は数人の有志学生がかぶっていただけだった。しかし、一八八六(明治一九)年三月二日に帝国大学令が発布され、東京大学が帝国大学と改称されたとき、文部省がそれを公式に制帽と認めたのである。解剖学者の小金井良精によると、角帽が四角形になっているのは、帝国大学が四部門から構成されていたことにちなむということだ。四部門とは、文科大学、理科大学、工科大学、医科大学である。また、文学博士の芳賀矢一は、予備門(第一高等学校の前身)時代に角帽をかぶっていた。明治一七年頃に制帽を決める話が起きたが、当時の洋行(留学)帰りのハイカラ説が幅をきかせ、イギリスの名門オックスフォード、ケンブリッジ両大学の帽子を折衷してつくることになった。そこででき上がったのが、今日のような角帽であったという。一九一〇(明治四三)年四月一七日の『朝野新聞』でその制帽制定の経緯を語っている。欧米大学の礼装帽を真似したといわれる角帽だが、前面のつばは日本独特のものである。校章は「大学」の文字をデザイン化したもので、東京帝国大学以外の帝大もそれにならい、以降に設立された官立単科大学もほぼ同様だった。また、多くの私立大学も角帽を採用したのである。ところが、戦後は角帽をかぶる生徒が激減、一九六〇年代後半にはほとんど見られなくなったという。しかし、近年メーカーに、某大学の新入生などから角帽の復刻が依頼され、革製だった部分はビニールに変更されたものの、形や記章などの細部は忠実に再現された。すっかり影をひそめてしまった角帽だが、かつてのような大学生の誇りとシンボルとして、愛着を持っている人も少なくなかったのである。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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