甘納豆
【あまなっとう】
【雑学大全2】 生活 > 食べ物
豆の風味を生かした、ほどよい甘さの甘納豆を考案したのは細田安兵衛(一八三二?九三)で、現在の「栄太楼」の初代である。当時、屋台を引いてきんつばや大福を売っていた安兵衛は、一八五七(安政四)年、日本橋西河岸で井筒屋という菓子屋をはじめた。まもなくして、人々に親しまれた幼名を使用して「栄太楼」と屋号を改めたといわれている。文久年間(一八六一?六四年)、安くておいしい菓子をつくりたいと考えていた安兵衛は、小豆の一種である「金時ささげ」の砂糖煮の菓子を考案した。これは、江戸時代に中国から伝来した砂糖漬けの技術を応用したものである。「金時ささげ」は、皮が堅くて厚いので、煮てもくずれないという特徴があった。何回も糖蜜で煮詰めて甘みを含ませ、砂糖をまぶした菓子は庶民の口に合い、好評だったという。安兵衛は、この菓子に浜納豆(浜松の名産)をもじった「甘名納糖」と名づけた。ねばねばしていた水戸納豆よりも、塩辛く乾燥していた浜納豆に色や形が似ていたからである。しかし、いつの頃からか「あまなっとう」と縮めていう客が増え、後に「甘納豆」と呼ばれるようになったという。明治時代になると、栄太楼の甘納豆は全国的に有名になり、一八七七(明治一〇)年には第一回内国勧業博覧会で優等賞を受賞した。一九〇八(明治四一)年には、読売新聞に連載されていた田山花袋の小説『生』にも登場している。その後、「金時ささげ」のほかに白インゲン豆、そら豆、うずら豆などで甘納豆がつくられ、現在では豆以外に、栗やサツマイモも用いられるようになった。外皮とともに食べられるやわらかい「甘納豆」は、子どもやお年寄りに人気があり、いまもなお多くの人々に愛され続けている。ちなみに、栄太楼の商品は現在でも「甘名納糖」という名前で売られている。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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