湯治
【とうじ】
【日本史の雑学事典】 第10章 文化の巻 > 大和時代
■2 聖徳太子も大好きだった日本の温泉…グループで道後温泉湯治の旅へ
温泉にはさまざまな薬効があり、昔から日本人はこれと親しんできた。爆発的に湯治が流行したのは江戸時代になってからだが、それ以前にも温泉についての記録は存在する。
日本最初の温泉記事は、『風土記』に載っている。まだ神話時代の話で、大国主命が別府温泉で少彦名命の重い病を治したというものだ。
『風土記』に加え、『日本書紀』や『万葉集』などにも、古代の皇族たちがたびたび温泉旅行に訪れた記録が出てくる。とくに人気があったのが、畿内の有馬温泉と、夏目漱石の『坊っちゃん』で知られている伊予国の道後温泉である。
596年、あの聖徳太子も道後温泉へ出かけている。連れは、太子の師・恵慈や葛城(臣)烏奈羅など、信頼する少数の人々だったとされる。
『伊予国風土記』によると「夷与村(伊予の道後)に逍遙し」とあるから、おそらく湯治が目的だったのだろう。
このとき太子は、温泉の効能に感激して碑を建てたと伝えられるが、実物はどこかに埋もれてしまったのか、現存しない。
ただし、碑文については、幸い『風土記』にすべて収録されている。かなり難解な文章だが、道後温泉のすばらしい効能に託して、為政者の国を支配する心構えを説いたものだとされ、まじめな太子の性格がわかる。
ただ、一説には、太子の温泉旅行は、太子の所有する領地を視察することに加え、新羅(朝鮮半島における当時の日本の敵対国家)征伐のための、征討ルートの下見だったという説もある。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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