高村光太郎
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 ヒトの不思議 > 人物
高村光太郎は、十和田湖畔に立つ『乙女の像』などで知られる、日本を代表する彫刻家であるが、同時に詩人でもあった。
詩集『智恵子抄』は、妻智恵子との愛をうたい、多くの人に親しまれ、感銘を与えてきた。『乙女の像』には、智恵子の面影が残されているといわれている。
智恵子は、雑誌『青鞜』の表紙絵を書くなど、画家としても活躍していた女性だった。『青鞜』は、女性の人権確立や自由恋愛を主張する雑誌で、智恵子も、それまでの女性を縛っていた因習からは、自由になりたいと望んでいた。ところが、そんな智恵子が精神の病に冒されるようになる。それでも光太郎は献身的な看病をして、智恵子を愛し続けた。
その熱愛ぶりを示す、こんなエピソードも残されている。
光太郎は、馬になって智恵子を背中に乗せる、「お馬ごっこ」をして遊んでやった。しかも、夏の夜などは光太郎と智恵子の二人とも、裸という姿である。智恵子が、「お馬どうどう、ほら行けどうどう」と言うと、光太郎は板敷きのアトリエの床を四つんばいになったままで、ぐるぐる回ってやったという。
病のために幼い子どもに還った智恵子を、少しでも喜ばせるためだったのだろう。
しかし、やがて智恵子の病状は悪化し、病から癒えることなく、ついに死に至る。
智恵子の没後に書かれた『智恵子の半生』という回想記に、光太郎は「私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の頽廃生活から救い出され」と記している。
智恵子の没後、時代は太平洋戦争へと傾いてゆくが、このとき、光太郎は戦争を讃える詩を作ってしまう。
その詩が、青年らへ強い影響を与えたことを深く悔やんだ光太郎は、自己を罰するかのように岩手県の山小屋に七年間こもり、孤独な生活を送る。このときの過酷な暮らしが、以前からあった肺結核を悪化させ、光太郎の命を縮めたのではないかと考えられている。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全」東京雑学研究会 |
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