井伏鱒二
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 ヒトの不思議 > 人物
有名な文学賞といえば直木賞と芥川賞だが、直木賞は大衆文学の優秀な新人か中堅作家に贈られる。
『山椒魚』や『黒い雨』で知られる井伏鱒二も直木賞の受賞者だが、受賞理由が「飲み屋でツケを溜めているから」という信じられないものだった。
今でこそユーモアと哀愁を含んだ作風で世に知られている井伏鱒二だが、一九二九年『山椒魚』で文壇にデビューし、翌年には創作集『夜更けと梅の花』を刊行したといっても、執筆依頼をもらえない長い無名時代があった。
小説が売れなければ当然、お金に困る。それでもウサ晴らしに飲みに行きたいのが人情。結果、井伏は方々の飲み屋にツケを溜めることになった。
井伏は一九三七年『ジョン万次郎漂流記』で評判を得て、直木賞候補になった。最終選考で早稲田大学仏文学科の先輩・佐藤春夫が「井伏はあちこちの飲み屋で金を借りているそうだから、あいつに賞をやろう」と推薦し、その一言で直木賞受賞が決まったという。
受賞の知らせを聞いた井伏鱒二の第一声は「むろん、金はくれるんでしょうね」。
こんなふざけた(?)理由で直木賞を受賞した井伏鱒二だが、その後は順調に創作活動を続け、三八年には歴史小説『さざなみ軍記』を完成。翌年には駐在巡査の日誌の形を借りた『多甚古村』が数多くの読者に共感をもって受け入れられた。
戦後には五〇年に『本日休診』などにより第一回読売文学賞を受賞、さらに五六年には芸術院賞を受賞。六六年には原爆の大惨事を名のない庶民の目を通して描いた『黒い雨』で野間文芸賞を受賞した。
この活躍ぶりから見ても直木賞受賞は決してフロッグではなかったのだろう。
それにしても、井伏が直木賞を受賞したとき、ほかの候補作家たちが「自分は飲み屋のツケを溜めていなかったから受賞できなかった」と思ったとしたら、悔やむに悔やめなかったのではないだろうか。
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