竹内街道
【たけのうちかいどう】
【道と路がわかる事典】 3章 長い永い道の歴史 >
大和地方に数ある古道のなかでも、特に重要な役割を果たしてきた道として、竹内街道を忘れるわけにはいかない。竹内街道は、大阪と奈良県の県境にそびえる二上山の南麓を通り、大和と河内を結ぶ古代の幹線道の一つである。二上山といえば、悲劇の主人公大津皇子の墓があることで知られている。歴史にもたびたび登場する山でもあり、周辺からは旧石器時代の遺跡も多数出土している。まさしく古道にはふさわしい山といえる。
竹内街道沿いには、応神天皇陵や仁徳天皇陵、推古天皇陵をはじめ、無数の古墳が点在していることからも、この道が古代から物資の輸送路、文化の伝達路としての役割を果たしていた重要な幹線通であったことがうかがえる。
推古天皇の時代の六一三年に、「難波より京(飛鳥のこと)に至る大道を置く」と日本書紀に記されているように、竹内街道は日本で初の官道、いまでいう国道に定められた道だったのだ。竹内街道が「古代の国道一号線」といわれるゆえんである。
中国や朝鮮から、難波に上陸した大陸の先進文化は、堺を経由し、太子町を通り、竹内峠を越えて大和に運ばれた。日本の文化の基にもなったといわれる仏教も、インドからシルクロードを通って中国へ伝えられ、そこから海路で日本へ伝来。竹内街道によって大和にもたらされたものだ。飛鳥に文化が華開いたのも、大和に都が置かれたのも、竹内街道をなくして語ることはできないだろう。
竹内街道の名称は、當麻(たいま)町(奈良県)にある竹内集落を通り、竹内峠を越えていることに由来するが、今も古い家並みや石畳の道が旧街道の面影を漂わせ、周りの風景と相まって古代ロマンを掻き立ててくれる恰好のハイキングコースにもなっている。
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【この辞典の書籍版説明】
「道と路がわかる事典」浅井 建爾 |
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道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで道と路に関する知識が満載。 |
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