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ヒンズー暦
【ひんずーれき】

暦の雑学事典3章 暦の進化史 >

◆祭式の日取りの決定から生まれインドの暦法
 古代インドバラモン教の聖典をヴェーダという。このヴェーダを学習するための補助的学問として六つのヴェーダーンガがあり、そのうちの一つに祭式の日取りを決定するためのヴェーダーンガ・ジョーティシャと呼ばれるものがある。インド天文学と暦法は、このヴェーダーンガ・ジョーティシャが基本となっている。インドの伝統暦であるヒンズー暦では、次の四つの天体現象に基づく四つの時間単位が併用されている。
①太陽の運行/太陽年(太陽が起点にもどる周期)・太陽月(一太陽年の一二分の一)・太陽日(一太陽月の三〇分の一)
②月の運行/朔望月(月の満ち欠けの周期)・一太陰日(一朔望月の三〇分の一)
日の出日の出(あるいは夜半)から数えられる暦日(日にち)
④恒星の運行/恒星を基準とした恒星月、恒星日
 以上のような時間単位に基づくヒンズー暦は、一か月を三〇日、一年を一二か月三六〇日とする太陰太陽暦でありながら、閏と大小の月の置き方は中国と異なる独特の変遷をとげてきた。
 最古の暦法であるヴェーダーンガ・ジョーティシャでは、五年を一周期とし、五年に二回の閏月が設けられている。つまり、五太陽年(=六〇太陽月=一八〇〇太陽日=一八二五日)≒六二朔望月(=一八六〇太陰日)とみなすわけだが、一八六〇太陰日と一八二五日とでは三五日の差(欠日)が生まれる。そこで、五年間に三五の小の月(二九日)を配分してこれを調整するというものである
多種多様な暦が併存するインド
 六世紀頃のインドでは二八五〇年周期の暦法も採用された。これはアレクサンドリアから渡来したギリシア天文学の導入によると考えられている。二八五〇年周期はメトン法(十九年七閏法)の一九年周期の一五〇倍にあたるからだ。のちには四三二万年、四三・二億年という周期も採用された。
 第二次世界大戦後、イギリスから独立したインドは暦の統一を図るため、一九五七年に文民暦と呼ばれる国暦を制定した。これは月の呼称はヒンズー暦(太陰太陽暦)の呼称を踏襲した太陽暦であり、グレゴリオ暦とのずれをなくすために三月二二日(閏年は二一日)を、第一月(チャイトラ)の最初の日とすると定められている。
 インドは多宗教国家であり、ヒンズー社会だけでも、グレゴリオ暦と文民暦とヒンズー暦が併存しているので概観するだけでも容易ではない。なお、ヒンズー暦においては、月や太陽の位置、そして日付も、すべて天の赤道帯に並ぶ二八の星座(二十八宿)で示される


日本実業出版社
「暦の雑学事典」
JLogosID : 14820744


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【この辞典の書籍版説明】

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出版社: 暦の雑学事典[link]
編集: 吉岡 安之
価格:1404
収録数: 198221
サイズ: 18x13x1.8cm
発売日: 1999年12月
ISBN: 978-4534030214