コプト暦
【こぷとれき】
【暦の雑学事典】 3章 暦の進化史 >
◆古代エジプトの太陽暦が受けつがれている?
エジプトの太陽暦は、シリウスと太陽の同時出現という現象を利用することで編みだされた。その後、エジプトの祭司たちは夏至の太陽の観測によって一年の起点を知り、洪水期の始まりを知らせるようになったようだ。しかし、その暦法は祭司たちが独占しており、国王さえも口出しが許されず、長らくエジプトでは一年を三六五日とする民間暦と、一年を三六五日四分の一とする官暦とが併存していた。こうした時代は数千年も続いた。
古代エジプトで使われていた太陽暦をしのばせるものとして、コプト暦と呼ばれるエジプトの民間暦がある。コプトとはエジプトのコプト教会に属するキリスト教徒のことである。紀元四〇年頃、マルコ(『マルコ福音書』の著者)がアレクサンドリアで布教したのが、エジプトにおけるキリスト教の始まりといわれる。その後、三世紀にローマ帝国から激しい迫害を受けて多くの殉教者を出したため、これを忘れないために迫害したディオクレティアヌス帝の即位年である二八四年を殉教元年とするコプト暦が作成されたという。
◆現代エジプトではイスラム暦とコプト暦が共存
コプト暦は農業に便利なエジプトの伝統的な太陽暦を受けついだものである。コプト暦においては、三〇日からなる一二の月を一年に配当し、最終日に五日(閏年は六日)の追加日を設けている。
現在のエジプトの正式名称が、エジプト・アラブ共和国ということからもわかるように、エジプト国民のほとんどはイスラム教徒である。これは七世紀にアラブ軍がエジプトに侵入してイスラム化が進んだためだ。しかし、現在もなお人口の一割はコプト教徒であり、公用暦としてはグレゴリオ暦が使われるが、国民的祭日はイスラム暦によるものと、コプト暦によるものとが共存する状態となっている。
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【この辞典の書籍版説明】
「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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