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年号の数
【ねんごうのかず】

暦の雑学事典2章 暦の歴史エピソード >

◆白鳳時代とはいつのこと?
 平成という年号は、わが国初の年号である大化(六四五~六五〇年)から数えて二四七番目の年号とされる(異説もある)。大化以前には年号がないので、歴史書では推古九年(六〇一年)、舒明一年(六二九年)、皇極一年(六四二年)というように歴代天皇の名を冠して年号のかわりとする。これを即位紀年法という。
 大化に始まる七世紀後半の年号は、大化・白雉・斉明・天智・弘文・天武・朱鳥・持統・文武である。このうち、大化、白雉、朱鳥は、天皇名によらない年号らしい年号である。しかし、大化という年号は、大化の改新(六四五年)直後から存在したかどうか疑問がもたれているし、白雉や朱鳥といった年号も、なぜかあとが続かず天皇名による即位紀年法にもどっている。また、日本美術史における白鳳時代の白鳳とは白雉の異称であり、この時代の年号のつけ方はかなり恣意的だった。年号が公文書の紀年法として用いるように定められたのは、文武天皇の代の七〇一年、対馬から金が献上されたことを機に、大宝という年号とともに大宝令が制定されて以降のことである
◆歴代天皇名は贈り名である
 推古九年(辛酉)というように、時の天皇名と干支を記載すれば、紀年法としては十分である。なぜ、年号が必要とされたのか。実は推古、舒明、皇極といった天皇名は、死後につけられる諡号(贈り名)であり、生前、そのような名前で呼ばれていたわけではない(神武天皇から光仁天皇までの漢風諡号は、奈良時代の淡海三船の選定といわれる)。また、干支は六〇年ごとに繰り返されるので、たとえば辛酉だけではいつの時代かわからないため年号が制度化されたのである
 大宝から平成までの元号と歴代天皇は八四代であるが、その間の年号は二〇〇を超える。これは明治改元にあたって一世一元の制が施行されるまで、天皇一代において何度も改元する例が多かったからだ。改元は次のような理由で行なわれた。
・代始改元/新天皇の即位にともなう改元。
・祥瑞改元/何らかの吉兆をもって行なわれる改元。孝徳天皇の代に白い雉が献上されたことにより大化から白雉と改元されたのが始まり珍しい雲を祥瑞とした慶雲、武蔵国で天然の純銅が産出したことによる和銅など、奈良時代は祥瑞改元が主流だった。
・災異改元/天災や戦乱を天の戒めとする改元。醍醐天皇の代の九〇一年、三善清行が中国の讖緯説(天変占星術的な予言説)に基づく改元の議を奉じ、延喜に改元されたのが始まり。辛酉・甲子の年は改元の年とされ(辛酉革命、甲子革令)、九〇一年は辛酉の年にあたる。以後、江戸時代まで辛酉・甲子の年の改元はほぼ恒例化した。


日本実業出版社
「暦の雑学事典」
JLogosID : 14820744


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【この辞典の書籍版説明】

「暦の雑学事典」吉岡 安之

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出版社: 暦の雑学事典[link]
編集: 吉岡 安之
価格:1404
収録数: 198221
サイズ: 18x13x1.8cm
発売日: 1999年12月
ISBN: 978-4534030214