吉田兼好
【よしだけんこう】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
「つれづれなるままに日暮し、硯にむかひて……」という冒頭が有名な『徒然草』。筆者は吉田兼好である。兼好は出家僧であり、同書が仁和寺近くの双岡(ならびがおか)に結んでいた庵で書かれたということと合わせて、さぞ慎ましやかな生活のなかからの見聞で生まれた随筆に違いないと思わせる。確かに兼好法師は衆生を捨てて隠遁生活を営んだが、それは後年のことで、序段を書きはじめたのは二〇代の世俗にいた頃だったようだ。そうありたいと願って、若い頃から世捨て人になるべく生き、それを実践したのかもしれない。しかし、隠遁生活とはいえ、お金はかかる。兼好はどうやって生活を支えるかを考え、かなり計画的に利殖をしたようだ。『徒然草』が感じさせる人間や社会を見る冷徹な目は、隠遁生活といいながら、実はかなり経済的に恵まれた暮らしのなかから生まれたものといえる。それがわかるのが、一三一三(正和二)年の土地売券。彼が公家から土地を買い取ったときのものだが、その費用が銭九〇貫。これがすぐ調達できるというのは、鎌倉時代末期のこの時代の貨幣価値ではかなりの財力を示す。さらに売買に際して結んだ売買契約につけた条件が、かなり周到なものなのだ。土地徴用の対象にしない、契約違反があれば代金は倍返しにしてもらうなど、経済観念や法的措置がしっかりしている。ここから見えてくる兼好法師の姿は、隠遁者というより怜れい悧りな商人さながらである。『徒然草』のなかにも金持ちの商人や契約、商売に関する記述があり、蓄財論を述べた部分もある。また、こうした研究から、「兼好は当時あらわれたばかりの土蔵という金融業者だったのではないか」という説を唱える人さえもいる。『徒然草』で吉田兼好が存分に自分の思想を述べられたのは、世間におもねることをしなくても生活できる財力という裏付けがあったからなのかもしれない。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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