奴隷解放宣言
【どれいかいほうせんげん】
【雑学大全2】 学校じゃ教えてくれない?! > 歴史
一八六三年一月一日に、一六代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンによって出された「奴隷解放宣言」。彼は人道主義の立場から、敢然と奴隷解放を宣言して、奴隷を解放した、と伝えられているが、このとき実際に解放された奴隷はごくわずかだったという。その背景には、その二年前にはじまった南北戦争の影が色濃く落とされていたのである。奴隷解放宣言には「一八六三年一月一日に、合衆国に対し反乱状態にある州、あるいは州の指定地域のなかに奴隷として所有されているすべての人々を、その日ただちに、またそれより以後永久に自由とする」と書かれている。つまり、奴隷制を残しながら連邦(北部)に残った州は除外され、連合(南部)諸州だけに適用される「奴隷解放宣言」だったのだ。だから、実質的には、一八六三年一月一日以降に北軍によって制圧された南部連合側だった地域の奴隷が解放されるにとどまったのだ。具体的にいうと、デラウェア、ケンタッキー、メリーランド、ミズーリの連邦側の奴隷州、一八六三年一月一日以前に連邦軍が制圧したテネシー、それにヴァージニアとルイジアナの一部も奴隷解放の対象からはずれていたのである。このようなことから、奴隷解放宣言は南北戦争における戦略だったともいわれる。事実、この宣言が全米に公布されると、解放奴隷たちは次々に銃をとって北軍に参加し、大きな支援となった。また、ヨーロッパ諸国へのアピールともなった。リンカーン自身も後に振り返って、「私の目的は連邦を救うことであって、奴隷を救うことでもなければ、その制度を破壊することでもなかった。もしも私が一人の奴隷を解放しなくても連邦を救えるならば、私はそうしただろう」と述べている。とはいっても、終戦後、南部連合支配地域が連邦軍の支配下に戻され、アメリカ合衆国憲法第一三条の修正が承認されたため、奴隷たちの解放は公式に確立された。この宣言がきっかけとなって、奴隷解放運動が盛んになっていったことを考えると、やはりリンカーンは「奴隷解放の父」と呼んでもいいのかもしれない。
data-ad-slot値が不明なので広告を表示できません。
【関連コンテンツ】
広告を表示できません。
【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
|
浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
|
出版社:
雑学大全2[link] |