自然淘汰説
【しぜんとうたせつ】
【雑学大全2】 生活 > 知恵
進化論とは、「生物の種は時間とともに変化し、様々な生物は、その変化のなかで生まれてくる」という考え方である。なかでも、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンの「自然淘汰説」が有名だ。生物が本来備える繁殖力が概して環境の収容力を超えるために、生まれた子どもどうし、またはほかの生物との間で生存競争が起き、より有利な形質を持ったものがより多くの子を残し、進化していくという説であるが、彼は『種の起源』のなかで、これを初めて提唱したとされている。しかし、この説が発表される前に、実はダーウィンと同じことを考えている人がいた。アルフレッド・ラッセル・ウォレスという博物学者である。彼はアマゾンやマレー諸島を旅し、ダーウィンとは別に「自然淘汰説」に行き着き、体系化したのであった。そしてその論文をダーウィンに送っている。これを見たとき、ダーウィンは非常に狼狽したという。というのも、一九世紀当時のイギリス社会では「神がすべてを創造した」とするキリスト教が大きな力を持っており、彼が自説を発表すればカトリック教徒からたいへんな弾圧を受けることは明白なため、自然淘汰説を発表せずにいたからである。しかし、第一発見者の座を奪われるかもしれないと狼狽するダーウィンのために、彼の友人たちはウォレスとの仲介役を買って出て、ダーウィンはウォレスとの共同論文を学会に発表することとなった。結果、学会は騒然となった。まだ当時の研究者たちの多くは、「人間は神が創ったもの」とする立場に立っていたので、案の定、一斉に非難の声が上がったのである。非難の声に抗ってウォレスは論争に挑むが、ダーウィンは沈黙してしまったという。どうやら彼はたいそう臆病だったようである。そして、このことが災いし、ウォレスは学会から無視されるはめに陥ってしまったらしい。一方のダーウィンは、一八五九年に『種の起源』を発表した。産業革命を完了してヴィクトリア朝の絶頂期にあったイギリスには、適者生存による文明の進歩を肯定する基盤があったのか、あるいはタイミングがよかったのか、彼の自然淘汰説は後世の多くの人に、「ダーウィン独自の説」として知られるようになったのである。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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