妻帯説
【さいたいせつ】
【雑学大全2】 学校じゃ教えてくれない?! > 歴史
生涯を独身で貫いたとされる英雄は多いが、その後に、実は妻帯者であったという説が一緒についてくる人もなぜか多い。戦国武将の上杉謙信が、男色で五〇年近くの生涯を独身を貫いたという説がある一方で、この謙信のそばにも女性の影があったらしい。家臣の娘や人質として送られて来た姫との悲恋などである。実は、同じく生涯独身だったという江戸時代の高僧、良寛にしてもそうなのである。ただ、これまでは良寛の妻帯説を唱える研究者はいたが、立証ができず、生涯独身が通説だった。しかし、良寛研究家の冨沢信明元新潟大学教授が、良寛の生家に伝わる系図をもとに証明した。冨沢教授が着目したのは、良寛の出身地、新潟県出雲崎町の生家である山本家に伝わっている「山本氏近世歴代之家譜」である。調査をはじめると、一八六六(慶応二)年に作成されたものが出てきた。良寛の死から三五年後につくられたものであった。これには歴代の当主夫婦と子どもの戒名が記載され、夫婦は「夫・妻」の順で書かれていた。その家譜によれば、「良寛禅師」と記された場所の前に、女性の法名「釋尼妙歓」と書かれているのだ。順序を入れ替える「上」「下」の文字が書かれているようだが、教授によれば、作成者が良寛夫婦の順番を書き間違えて書き直そうとしたが、書き直さずに「上」「下」を付け加えることで済ませてしまったのではないかとのことである。また、山本家の戒名には必ず「院」がついていることから、この妻は、良寛の出家前には離縁していたと見られている。出家する前は出雲崎町の名主の長男だった良寛は、地区の政事ごとにもかかわっており、ゆくゆくは地域をまとめる名主の見習いであった。そのことからも、当時は妻帯するのが当然で、良寛に妻がいたと考えるのは、自然な発想であるとしている。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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