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紅茶
【こうちゃ】

雑学大全2生活 > 飲み物

ヨーロッパで「紅茶の本場」といえば、なんといってもイギリスだが、その昔、イギリスに紅茶を伝えたのは日本だったという説がある。江戸時代、日本は長崎の出島を通じてオランダと貿易をしていたが、この頃に来日したオランダ商人やイエズス会の宣教師たちが、当時隆盛を極めていた日本の茶の湯文化に興味を持ったのがはじまりだという。オランダから伝わった「茶」は、フランスやドイツ、さらにはイギリスへ伝えられたが、その頃、茶は「tea」ではなく、「cha」と呼ばれていたようだ。ただし当時のイギリスでは飲み物としてではなく、薬として珍重されていたという。その後、一六六二年にポルトガルからチャールズ二世へ嫁いできた皇女キャサリンが、喫茶の風習を広めたことから、イギリスでは宮廷を中心に茶を飲む習慣が広まった。そして茶の人気は徐々に庶民にも広がり、一八世紀中頃のイギリスのお茶の消費量は、すでにほかのヨーロッパの国々の約三倍だったといわれている。もっとも、一八世紀はじめ頃には、茶といえばもっぱら「緑茶」をさし、その後徐々に「紅茶」の割合が増えていった。これにはおもしろいエピソードがあり、中国から輸入される茶葉がインド洋、アフリカ南部をまわって、ヨーロッパへ伝えられる間に発酵して、「緑茶」が「紅茶」になったというのだ。しかし、これはまったくのつくり話のようで、はじめから「紅茶」としてつくられた茶がイギリスへ入るようになると、そちらのほうが好みにあっていたため普及したのだろうといわれている。イギリスへの茶の輸入は、イギリスインド会社が独占しておこなっていたが、その後、スエズ運河の開通により航路が新しく開かれたことと、イギリスの中国での覇権が弱くなったことが理由となり、すでに植民地としていたインドで茶を栽培するようになった。現在もポピュラーな紅茶の一つとなっているダージリンが、茶の一大産地としてられるようになったウラには、イギリスのお国事情がからんでいたのだ。


東京書籍
「雑学大全2」
JLogosID : 14820744


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編集: 東京雑学研究会
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発売日: 2004年8月
ISBN: 978-4487801305