北原白秋
【きたはらはくしゅう】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
明治・昭和期の詩人であり歌人でもあった北原白秋。美しい言葉をつむぎ出したとして名高い。本名は隆吉。早くも中学時代に「白秋」の号で詩歌を雑誌に投稿し、詩才を高く評価され、一九〇六(明治三九)年、与謝野鉄幹の誘いで『明星』に詩歌を発表して注目された。一九〇八(明治四一)年、耽美派文学の拠点となった「パンの会」創設に参加。翌年、感覚詩や官能詩からなる一二〇編が収録された処女詩集『邪宗門』を刊行した。耽美的な美しい詩を多数残し、詩人として大成功した白秋だが、恋愛にはいたって不器用で、失敗ばかりしていた。白秋が最初に運命的な出会いをした女性は、二五歳のときに引っ越した借家の隣家の人妻、松下俊子だった。隣同士というつき合いから、いつしかたびたび白秋と俊子は話をかわす。しかし、俊子に不幸な結婚生活を打ち明けられてから、白秋は同情と義憤から急速に彼女にのめりこんでしまう。そんなある日、白秋は突然、俊子の夫から「姦通罪」で告訴され、市ヶ谷の未決監に収監された。弟の奔走により、三〇〇円の慰謝料で告訴を取り下げさせて釈放された白秋は、周囲の反対を押し切り、一九一三(大正二)年に俊子と結婚した。しかし、そうまでして結婚した相手なのに、一年あまりで離婚となった。俊子は派手好きのため、貧乏暮らしに不満を募らせ、結婚生活が破綻してしまったのである。一九一六(大正五)年、白秋は、有名詩人にあこがれて近づいてきた江口章子と再婚した。彼女はしばらく白秋の仕事に貢献したが、四年後、新聞社関係の男と密通して、駈け落ちしてしまった。かように結婚生活ではボロボロになった白秋であるが、一九二一(大正一〇)年、佐藤菊子と結婚して、ようやく終生の妻を得た。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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