足利義教
【あしかがよしのり】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
古代律令政治の時代から、為政者に後継者がいないというのは政争のタネになってきた。女性天皇の即位例も、後継者争いを起こさないための中継ぎとしての役目があった。天皇親政の時代ならそれもできたが、武家社会になると将軍は男性の役職だから、男子後継者は必須だった。直系男子が後継者の一番手であることは天皇家と同じだが、それがいない場合、一代前、二代前にさかのぼってでも、直系血族の男子を探して即位させるというのが常套手段だった。室町時代の足利将軍家にも、そんな危機が訪れていた。五代将軍・義量の一九歳での夭折だ。彼は未婚で子どもはなく、一人息子のため兄弟もいなかった。そこで四代将軍・義持の兄弟たちが後継者候補になった。しかし、選び方を一つ間違えると兄弟間での争いに発展しかねない。そこで選ばれたのが、クジで決める方法だった。当時のクジは、神の意を占うという意味合いが強く、クジの結果は神判として、誰もが素直に受け入れるという慣習があった。そのための条件として、クジ引きは必ず神社でおこなわれなければ、公平なものとは思われなかった。このとき、クジ引きの場として選ばれたのは、京都三条八幡宮。義持には四人の兄弟がいたが、当たりクジを引いたのは、三代将軍・義よし満みつの三男だった僧の義円。将軍家直系ではない子のため、慣例として仏門に入っていた彼は、還げん俗ぞくして義よし教のりと名乗り、六代将軍を継いだのだった。ただクジ引きで将軍になったことを引け目に感じていたのか、将軍になってからの義教は、かなりの恐怖政治を敷いたようだ。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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