納豆
【なっとう】
【日本史の雑学事典】 第9章 食と習慣の巻 > リスト
■10 納豆の元祖は聖徳太子? 鑑真? 源義家?…日本が誇る健康食品のルーツを探る
古来よりの日本食は、どれもヘルシーなものが多いが、とくに納豆は群を抜いている。
タンパク質が豊富で、低エネルギー・低脂肪、納豆に含まれるナットウキナーゼは血栓を溶かし、ビタミンKは骨粗鬆症を予防し、イソフラビンは癌を予防する。何ともいいことずくめだ。
こんなすばらしい食品を、いったい誰が最初につくったのか、実は定説がない。と言うよりも、諸説紛々なのだ。ただ、元祖とされる人には有名人が多い。
たとえば聖徳太子もその一人。太子が近江国横溝(滋賀県愛知郡湖東町)で、馬に煮豆を藁とともに与えたさい、それが納豆に変わったという伝承がある。
周知のように納豆は、大豆が藁に付着している納豆菌によって発酵したものだ。通常、60センチの藁1本には、何と約1千万個の納豆菌があるというからすごい。
鑑真和上が日本に来日したおり、唐でつくっていた納豆の製法を日本人に伝えたという話もある。
南北朝時代、出家した北朝の光厳法皇が、丹波山国(京都府北桑田郡京北町)で、村人からもらった煮豆を藁のなかに保存して大切に食べているうちに発酵して納豆になったとか、馬小屋の藁上に落ちていた味噌豆が納豆に変わったのを見つけ、納豆製法を創始したともいう説もある。
一番具体的なのは、源(八幡太郎)義家であろう。
義家が東北平定へ向かう途中、平泉(岩手県西磐井郡平泉町)で休息したさい、大量に大豆を煮させた。馬の飼料にしようとしたのだ。ところが、そこに突然の敵襲を受ける。もったいないと思ったのか、義家の軍兵は煮えた豆を米俵に詰め、戦闘を開始した。数日後、ようやく戦いが終わり、俵のなかを覗いてみたら、そこに納豆ができていたというのである。
しかし、このように偉人が元祖になっているのは単なる伝承に過ぎず、実際はすでに縄文期の頃から、日本人は納豆を食べていたと考えられている。
遺伝子分析でも、日本の納豆菌は、中国の納豆菌から7千年前に分かれたものとする研究成果も出ている。
では、納豆の語源はどうだろう?
これもまた、諸説がある。
納豆は僧侶がよく食べ、寺院の納所(台所)でつくられたものだから、「納所の豆」ということで納豆と呼ぶようになったというのが、もっとも有力だ。
また、昔は納豆を桶や壺に収(納)めて保存しておいたので、納豆と称するようになったという説もある。
おもしろいのは、神棚に供えた(納めた)煮豆が、しめ縄の藁に触れ、それが納豆に変わったのが語源だとする伝承もある。
ところで、納豆と言えば水戸を思い出すほど納豆名産地とされる水戸(茨城県)だが、同地で本格的な生産が始まったのは明治時代のことで、歴史は案外浅い。笹沼清左衛門が、1889年の水戸線(小山ー水戸間)開通をチャンスと考え、職人を東北仙台から招いて納豆を大量に生産、水戸天狗納豆のブランドで名産品としてホームや駅前で売り出したのが最初だとされている。
一方、納豆が存在するのは、何も日本だけではない。温暖湿潤な気候の照葉樹林地帯に広くみられ、中国、韓国のみならずタイ、ベトナム、ラオス、インド、ネパールにも納豆は存在する。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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