荒木村重の謀反③
【あらきむらしげのむほん】
【日本史の雑学事典】 第2章 事件の巻 > 安土桃山時代
■6 荒木村重の謀反③…磔に丸焼き、信長好みの処刑方法
主君に裏切られ、もはやこれまでと諦めて自殺した池田和泉守の選択は、ある意味で賢明だったのかもしれない。
有岡城の本丸に残された600名の荒木家臣団と家族は、1579年12月13日、織田の兵に追い立てられ、尼崎に近い七松に集められた。
ここで大量処刑があるといううわさを聞き、周辺の村々から野次馬が群がってきた。人が死ぬ瞬間を一目見たいという人間の浅ましい好奇心が、見物人たちの瞳にありありと映し出されていた。
七松にはやがて、122本の磔柱が林立した。
これだけ多くの磔刑が同時に執行されるのは、前代未聞のことだ。しかも、縛られているのは有力家臣の女房衆で、全員女性。色鮮やかな小袖がひらひらと、刑場にはふさわしくない風景である。胸に迫るのは、子持ちの女性がみな、我が子を抱いた形で縛りつけられていたことである。
刑場には、信長も自ら姿を現わしている。
用意が整うと、すぐに処刑が始まった。
次々と人質たちが槍でズブズブと身体を刺されていった。死刑執行人は、容赦なく「ありゃ!ありゃ!」という異常なかけ声をかけ、斜め下から槍を突き刺しては引き抜き、引き抜いては突き刺していった。致命的な打撃を与えるため、穂先が肉に埋まったところでひねりを加えて引っこ抜いた。そのため、傷は大きな口を開け、鮮血が穴から飛沫を飛ばして溢れ出た。腹にできた傷口からは、腹圧によって臓物が押し出され、足を伝って落ちた。何ともおぞましい光景である。
頃合いを見計らい、執行人は処刑者の髪を熊手にからげ、上を向かせたあと、とどめの槍を喉に差し入れて生命を奪った。磔は、短くても数分間、苦痛を経験しなければならない。だから、痛みや恐怖に耐えかね、女たちは悲痛な声を張り上げ、生命がつきるまで泣き叫んだ。
野次馬たちは、この光景を目にして肝を潰した。目や耳をふさいでしゃがみ込んでしまう者、その場で卒倒する者が続出したという。
だが、処刑は磔だけはで終わらなかった。人質として残った下級武士の妻子ら500人近くの男女は、追い立てられて4軒の民家に押し込められた。やがて、織田の兵が柴や枯れ草を抱えて民家に近づき、それらを家の周囲に積み上げたとき、人質や周囲の者は、これからおこなわれる事態の恐ろしさに気がついた。
人質らは何とか脱出しようと、力任せに戸へ体当たりしたり、壁を蹴ったり叩いたりした。だが、屋敷はびくともしなかった。もはや、逃れるすべはない。そう知ったとき、人質たちはあらん限りの声で周りに助けを求め、命乞いをした。だが、助けてやりたくとも、見物人たちにはどうすることもできない。人質らの声は、最後には枯れ果て、野獣が悶え苦しむような悲痛な音を発した。
松明を掲げた兵が、枯れ草に火をつけた。炎は一気に大きくなり、民家の外壁を焦がし始めた。白煙が渦を巻き、屋内へと吸い込まれていく。せき込む声が絶え間なくこだまする。やがて、炎が内部に侵入して、なかにいる人質を襲った。
「風のまわるに随ひて、魚のこぞる様に、上を下へと、なみより、焦熱・大焦熱のほのほ(炎)にむせび、おどり上り飛び上り、悲しみの声、煙につれて空に響き、獄卒の呵責の攻めも、是なるべし」
『信長公記』は、火刑を詳細に描写している。
こうして処刑された600体を超す遺体は、その場に放置された。数日経つと、犬や猫、鳥が死体を喰い破り、見るも無惨な姿へと変わっていった。なんともむごい大量虐殺であった。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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