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榎本武揚
【えのもとたけあき】

日本史の雑学事典第1章 謎・伝説の巻 > 明治時代

■13 榎本武揚の「蝦夷共和国」は事実誤認?…明治政府に宛てた上表文の意外な内容
 旧幕府海軍副総裁であった榎本武揚は1868年8月、鳥羽・伏見の戦いや会津戦争で敗れた兵の一部を戦艦に分乗させ、共に蝦夷地(北海道)へと逃れた。そして、新政府の箱館府や松前藩を駆逐し、同年12月、蝦夷地を武力制圧すると、本格的に政権づくりを開始した。
 まずは政権のリーダーに誰が就くかである。これは榎本しか将たるべき存在がなかったのだが、彼はアメリカ合衆国システムを真似て、選挙(入れ札)による投票を提案した。ただしこれは、士官約800人による制限選挙であった。
 その結果、総裁には榎本武揚、副総裁には松平太郎が就いた。海軍奉行に荒井郁之助、陸軍奉行に大鳥圭介、そして土方歳三は陸軍奉行並、つまり陸軍奉行に匹敵する役職に就任したのだった。そのほか、箱館奉行に永井玄蕃、開拓奉行に沢太郎左衛門、会計奉行に榎本対馬、軍艦頭に松岡磐吉が任じられた。
 こうして脱走軍は、蝦夷を支配する唯一の政治権力となったのである
 この政権をよく「蝦夷共和国」などと呼んでいる本を見かけるが、それは大いなる誤りである。 榎本たちは、共和国を建国したという意識をサラサラ持っていない。彼らの願いは、徳川幕府の再興だったからである
 それは、次の逸話からよくわかる。
 同年11月18日のこと、イギリス船とフランス船が箱館に入港し、両艦長が蝦夷政府の責任者との会見を要求した。それゆえ、榎本と永井が会談に臨むと、両艦長は、脱走軍勢力を独立国家と正式に承認し、さっそく貿易に関する取り決めをしたいと申し出たのである
 これに対して榎本は驚き、
「私たちは国家ではない。この土地も人民もすべて朝廷のもの。私たちはただ、朝廷のために働きたいだけです」
 と言い、両艦長に、明治政府へ上表文を届けてくれるよう依頼したのだった。
 その文章を要約する
「私たち徳川旧臣は、30万人余りになります。それが70万石に領地を縮小されてしまっては、みな飢え死にしてしまいます。ですから、この蝦夷地を私たちに下賜してほしいのです。そうしていただければ、同胞を呼び寄せ、原野を開拓し、朝廷のために北方の警備を引き受けたいと存じます。箱館府との激突は、清水谷公考・箱館府知事のもとへ嘆願に赴いたところ、早々に賊徒の悪名を被り、夜襲を受けたので、仕方なく応戦したまでのこと。他意はございません。また、蝦夷地に徳川家の血筋の方を一人、お遣わしください。そうすれば、私たちは一層奮発して、朝廷への忠勤に励みます。第一に皇国のため、第2に徳川のため、どうぞこの願いをお聞き届けください」
 この内容から判断する限り、榎本たちが目指したものは、徳川旧臣のための新生幕府であったことがわかる。
 すなわち、とうてい共和国と呼べる政治体制などではなく、むしろこの徳川脱走兵たちは、旧態然とした「サムライの国」をつくろうとしていたのである
 この嘆願書は、明治政府に届けられたが、翌年1月中旬、榎本の請願は正式に却下された。かくして蝦夷政府は、明治政府との全面対決を決意しなければならなくなった。
 結局、1869年5月、蝦夷政府は新政府軍の総攻撃を受け、もろくも敗れ去る。これにより、明治政府(天皇政権)は名実共に、日本全国を統一することができたのである


日本実業出版
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14820744


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【この辞典の書籍版説明】

「日本史の雑学事典」河合敦

歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。

出版社: 日本史の雑学事典[link]
編集: 河合敦
価格:1404
収録数: 136語224
サイズ: 18.6x13x2.2cm
発売日: 2002年6月
ISBN: 978-4534034137