ヨハン・シュトラウス
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 ヒトの不思議 > 人物
ヨハン・シュトラウスは、一九世紀のウィーンで父子とも同じ名前で活躍、ワルツをたくさん作曲しているため、父親を「ワルツの父」、子どものほうを「ワルツの王」と呼び分けることがある。
父親は大衆的なダンス楽団のビオラ奏者から独立して自分の楽団を持ち、その頃から作曲も始める。ヨーロッパ演奏旅行を行って、各地にウィンナ・ワルツを広めた功績はあるものの、通俗的な音楽の演奏家兼作曲家と分類されている。「アンネン・ポルカ」や「ラデツキー行進曲」が彼の作品だ。
「王」と呼ばれることになった息子は、いわば二世だから親の七光りのように思えるが、最初は父親に音楽家になることを反対されたという。それでも独学で音楽を続け、自分の楽団を持つに至り、父親の死後はその楽団をも吸収して、文字どおりダンス音楽界の帝王へと成長していく。
父親のヨーロッパ旅行を見習ったほか、ロシア、アメリカへも足を延ばし、父の足跡をたどるように作曲家としても才能を見せ始めた。「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」といった代表作は、彼の四〇代のときの作品である。
どちらかといえば大衆的な分野で、人気楽団のリーダーという華やかな立場とくれば、現代の日本の芸能界に通じるような注目が、ヨハンに集まっただろうことは想像に難くない。本人もそれを意識していたのだろう、かなりな伊達男でおしゃれだったとその言動が伝わっている。
その象徴が、彼のネクタイへのこだわりぶりで、おしゃれのためには、同じネクタイを五回以上締めることはなかったそうだ。しかも選ぶのはいつも最新流行のものばかり。それは外出や演奏会のときに限られるのではなく、家庭内でもくつろいだスタイルを人に見せることがなく、きちんとネクタイ姿を通したという。
ここまで徹底した心理の根底には、演奏しながら指揮をする父の姿に憧れた少年時代の思い出があったためのようで、実際に音楽の道を歩み始めるより早く、鏡の前で父のポーズを真似していたというエピソードも伝わっている。
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