油田
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 地理 > 場所
日本にも油田があるというと意外に感じられがちだが、新潟県の油田では、産油量は少ないながら採掘が行われている。現在ではみかん、茶、メロン、スイカの栽培を主産業とする静岡県榛原郡相良町は、かつて太平洋岸唯一の油田、相良油田をかかえていた。
この町は、江戸時代、第九、第一〇代将軍に老中として仕えた田沼意次の城が築かれた城下町で、大坂と江戸を結ぶ海上交通路の中継基地として栄えた。
相良油田は一八七二(明治五)年、もと徳川家の旗本・村上正局によって発見され、翌年石坂周三が開坑し、採油を始めた。最初の頃はツルハシとスコップによる手掘りで行われた。その深さは一〇九メートル程度だったが、明治末期には一八〇メートルに及ぶものもあった。中にはたった二一メートル程度で石油が湧き出した例もある。
手掘り井戸をつくるときは井戸を囲むように手掘り井戸小屋がつくられた。これは、屋根の上に明かり取りの窓を作り、この窓からの光を鏡によって反射させて坑内を照らす、というユニークな様式だった。
採油は主に日本石油株式会社によって行われ、一八七三(明治六)年に日本初の機械掘りが行われた。機械掘り井戸は平均三三〇メートル。地下数千メートルまでパイプを打ち込んで行う現代の採掘とはかなり規模が違う。
採掘の最も多かった一八八七(明治二〇)年には、五〇〇~六〇〇人の従業員をかかえ、年間七二一・六キロリットルもの石油を採掘した井戸もあった。産油量は大正、昭和と減ってゆき、最盛期に一五〇本ほどあった採掘井戸も今は一本も残っていない。
現在残っているやぐらは、一九五〇(昭和二五)年に開坑された相良油田の最後の、深さ約三一〇メートルの機械掘りのもので、個人宅の裏に残されている。
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