文壇
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 趣味 > 書籍
菊池寛は明治から昭和にかけて活躍した小説家で劇作家。一八八八(明治二一)年、香川県の貧しい家に生まれたが、向学心が強く、東京高師、明治大学に籍を置いた後、第一高等学校文科に入学し、芥川龍之介などとの交流を通じて文学者への夢を膨らませた。しかし卒業の目前、友人の罪をきて一高を退学し、京都大学選科(のちに本科に編入)に進んでイギリス近代戯曲を学んだ後、『新思潮』に参加して『屋上の狂人』『父帰る』などを発表した。
このように書くと、真面目一方の人物のように感じられるが、この菊池寛、学生時代から筋金入りの変人として有名だった。
例えば、大変な不精者で、歯磨きと洗顔が大の苦手。たまに顔を洗ったかと思えば、流しに顔を突っ込んでバシャバシャ水をかけるだけで顔を拭くこともしなかったらしい。
貧乏だったため、靴や制服はいつも借り物。靴が借りられないときは、素足に墨を縫ってごまかしていたらしい。
口をきくこともめずらしく、ついた渾名が「菊池寛」をもじった「くちきかん」。苦学の末、入学した一校ですぐさまつけられた渾名は「憂鬱なるブタ」。なんとも救いようのないエピソードばかりだ。
一九一六(大正五)年、京大を卒業して時事新報社に入社し、『時事新報』の記者として働いていたときも、政府高官のインタビュー中に、自分のワイシャツにメモを書き取るなど、常人離れしたパーソナリティを披露していた。
このように徹底した変人ぶりを見せていた菊池寛だが、一九一八(大正七)年から翌年にかけて発表した『無名作家の日記』『恩讐の彼方に』などが、表現の簡潔と主題の明晰さを評価され、文壇での地位を確立した。
菊池寛の純文学作家としての活動は大正期にほぼ終わるが、『文藝春秋』の創刊、日本文芸作家協会の前身・文芸家協会の設立、芥川賞・直木賞の創設、これらの功労にかんしては賛否両論があるが、文学の社会化に貢献したことは広く認められている。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全」東京雑学研究会 |
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“働きバチは1日6時間しか働かない”,“下手な医者をなぜ「ヤブ」と呼ぶのか?”,“『浦島太郎』のカメはオスかメスか?”……のような知的好奇心そそる雑学の集大成。なんと全1000項目!! |
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