のぞき
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 趣味 > 書籍
大正から昭和の初期を代表する作家・永井荷風。『三田文学』を発刊し、一九五二(昭和二七)年には文化勲章を受章した。荷風の作品には『四畳半襖の下張り』などもあり、エロティックな作家というイメージも強い。
一九〇三(明治三六)年から〇八(明治四一)年のアメリカ、フランスへの遊学体験をもとにした『あめりか物語』『ふらんす物語』を出版。その後、花柳界の情趣を好み、官能を追い求める耽美的な作風で知られるようになり、一九一〇(明治四三)年には慶応義塾大学文学科教授に就任した。
花柳界を舞台にした小説を多く書いた荷風だが、実体験をもとにしたことしか書かない主義だったようで、私生活の方もかなりエロティックなものだった。
荷風は中学時代から井原西鶴や近松門左衛門などを愛読していて、女性には興味津々だったらしい。この頃の吉原の遊廓を覗いていた経験がしっかりと刷り込まれてしまったためか、大人になってからも彼がつきあうのは玄人、つまり花柳界の女性ばかり。次々に女性遍歴を重ね、「覗き」にものめりこんでゆく。
やがて荷風は麹町の芸者・お歌を身請して待合(今で言うラブホテル)を開かせ、毎日のようにこの待合に通うようになっていった。荷風がなぜ、毎日のように待合に通ったかというと、それは、覗き趣味を満足させるため。
押し入れの中に小さな穴を開けて、そこから毎日、コッソリお客の性行為を見ていたのだ。
覗いた後で「あれはつまらなかった」だの、「今のはよかった」だの批評をして、荷風のお眼鏡にかなう行為を見せてくれたカップルには「あの人たちの料金をまけてあげなさい」などと言うこともあったとか……。
五〇歳過ぎまでさんざん花柳界の女性と遊び続けた荷風だが、当時の男性としてはめずらしくいつもコンドームを持ち歩いていた。どんなに遊んでも避妊と性病に対する予防を忘れなかったところなど、まさに遊び人の中の遊び人といっていいのかもしれない。
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【この辞典の書籍版説明】
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“働きバチは1日6時間しか働かない”,“下手な医者をなぜ「ヤブ」と呼ぶのか?”,“『浦島太郎』のカメはオスかメスか?”……のような知的好奇心そそる雑学の集大成。なんと全1000項目!! |
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