ハンス・オフト
【はんすおふと】
【ワールドカップ予選をめぐる64の話〜キーワード集】 3章「オシムの目指した日本…」 >
オランダ人の監督。1947年6月27日、オランダ、ロッテルダム生まれ。92年から93年にかけて日本代表監督(初のプロ監督、初の外国人監督)を務め、それまでタイトルのなかった日本代表をアジアカップ優勝(92年)に導く。93年にはワールドカップ予選を戦い、あと数秒で初出場というところまでもっていったが、イラク戦のロスタイムに同点ゴールを許して夢破れた。17歳でプロとなり、FWとして活躍したが、23歳で大けがをして現役を引退、コーチの道にはいった。82年、オランダのユース代表コーチをしているときに日本リーグ2部のヤマハ(現在のジュビロ磐田)の監督をしていた杉山隆一と知り合い、特別コーチとして招かれて短期間指導、日本リーグ1部昇格と天皇杯優勝をもたらした。84年には、やはり日本リーグ2部のマツダ(現在のサンフレッチェ広島)のコーチに就任、のちに監督も務めた。オランダに帰国後、ユトレヒトというクラブのディレクターを務めていたが、92年に日本代表監督となった後には、ジュビロ磐田、京都サンガ、浦和レッズと日本のクラブ監督を歴任した。08年、J2降格の危機に立った磐田の監督に就任、入れ替え戦の末なんとか残留を決めると、「自分の仕事は終わった」と辞任、家をもつスペインに帰った。
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