歩道
【ほどう】
【道と路がわかる事典】 3章 長い永い道の歴史 >
歩道は歩行者が通行するための道路で、車両の走っていなかった時代には必要なかったはずである。ところが、歩道の歴史は極めて古く、古代ローマ帝国の時代から存在していた。というのは、古代ローマでは、すでに馬車が走っていたからだ。
ところが、日本では陸上交通はもっぱら徒歩であり、道路自体が歩道だといってもよかった。従って、特に歩行者専用の道路というものはなく、「歩道」という用語自体なかったものと思われる。
日本の道路に歩道がつくられるようになったのは、江戸末期から明治の初めにかけての、いわゆる馬車が導入されてからのことであった。それも、開港場につくられた外国人居留地で、最初に歩道なるものが生まれたと思われる。それまで、日本の道路において歩行者のみが通行する「歩道」の文化はなかった。すべての道が人の歩く道、すなわち歩道だったのである。鎖国時代も日本で唯一、外国との交流があった長崎が、わが国における歩道の発祥地だといわれている。
一八〇五(文化二)年には、東海道の日岡峠(京都)と大津間で、歩道と車道を区別する道路が建設されたという記録がある。また、東京では一八七二(明治五)年に、道路を馬車道と人道に区別し、その境界に樹木を植えるようにとの御触れが出されている。
だが、歩道が本格的に整備されるようになったのは、一九〇三(明治三六)年に自動車が初めてわが国に輸入されてからである。自動車が普及するにつれて交通事故が相次ぎ、これまでの道路では歩行者の安全が守れないと、歩道の必要性がクローズアップされるようになった。だが、モータリゼーションの勢いがあまりに急激だったため、歩道の整備がそれに追いつけず、交通事故が急増、大きな社会問題にまでなった。
道路の整備、とりわけ歩道の設置は交通事故の防止には不可欠だとして、信号、標識、ガードレール、照明などの付帯設備とともに、歩道の設置に全力が注がれた。しかし、まだまだ歩道のない道路は多い。全国の道路総延長(一一六・二万km)のうち、車道と歩道が区別されている道路はわずか一三・九万km。全体の一二%にも満たないのだ。もっとも、末端の生活道路にまで歩道を設置する必要性はないので、この数値だけで歩道の整備状況を知ることは難しいが、国道でもまだ一五%以上の区間に歩道がないのである。
歩道と車道が区別されている道路の比率が最も高いのは沖縄県で二五・一%、二位は大阪府の二二・七%、三位は北海道で二二・五%、東京都は四位で二二・一%である。逆に最も低いのは徳島県で五・三%、長野県六・〇%、岡山県六・四%、和歌山県六・五%と続く。
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【この辞典の書籍版説明】
「道と路がわかる事典」浅井 建爾 |
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道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで道と路に関する知識が満載。 |
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