皆既日食
【かいきにっしょく】
【暦の雑学事典】 2章 暦の歴史エピソード >
◆日食予測がはずれれば昔は流罪や死刑
月が太陽を覆う日食は新月の日に起こる。また、昔の中国や日本の太陰太陽暦(旧暦)においては、月初は新月の日と決まっていたので日食は一日に起こるものとされた。
月の満ち欠け、すなわち朔望月の周期は二九・五三日、一食年の長さは三四六・六二日なので、二二三朔望月≒一九食年=六五八五日となる。したがって、六五八五日=一八年と一一日ごとに、太陽・地球・月はほぼ同じような位置関係となり、似たような日食・月食が観測される。これをサロス周期という。サロス周期は西暦前のバビロニアにおいて、すでに発見されていたといわれる。
日食・月食が起こる日の予測はそれほどむずかしいことではない。ただ、日食はかぎられた地域でしか観測できず、観測される地点や時間、食の程度を正確に決めるのはむずかしい。
漢の時代の中国では、悪政の世では記録される日食回数が多くなり、善政の世では逆に少なくなっていたという。これは占星術師たちが、「天変をふやし手心を加えて天子に対する間接的批判を行なった」とも、「悪政に対して抱いた危機意識が、彼らをして天変に対してきわめて敏感にならしめた」からだとも説明されている(中山茂『天の科学史』)。予測した日食が起こらないことより、予測していない日食がいきなり起きることのほうが社会に与える影響は大きい。天子の怒りを買えば、待っているのは流刑や死刑である。そこで、占星術師たちは保身のあまり、予測を多くしたのかもしれない。
◆卑弥呼は皆既日食を予測できなかった!?
精密な天体観測とコンピュータの利用で、今日では日食の予測ばかりでなく、過去に起きた日食の日時や場所も正確に計算することができるようになっている。
『古事記』『日本書紀』において、日の神であるアマテラスは弟スサノオの乱暴狼藉に怒り、高天原にあったという天の岩屋戸に閉じこもってしまい、いつ明けるとも知れぬ闇が世を覆ったという神話が記載されている。いわゆるアマテラスの「天の岩屋戸隠れ」である。
以前からこの神話は皆既日食と関係していると指摘されているが、史実ではないため確かめようがない。しかし、近年、邪馬台国の女王・卑弥呼が、皆既日食がらみの何らかの事件によって死んだ(あるいは殺された)という仮説が提唱され注目を集めている。過去の日食年を計算してみると、西暦二四八年に日本で皆既日食が起きているが、この年は邪馬台国の女王・卑弥呼が死んだ年と一致するというのである。
アマテラス神話と違って、卑弥呼の死は中国の『魏志』倭人伝に記載されている史実である。また、『後漢書』倭伝によれば、「倭国が大いに乱れ」たときに、人々に擁立されて女王となった卑弥呼は、「鬼神の道につかえ、よく妖をもって衆を惑わ」したが、狗奴国との戦争に破れたため死に追いやられたというのだ。しかし、計算上、この日食が起きたのは早朝で、かつ邪馬台国(九州または畿内)ではみられなかったともいわれる。
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「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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