夏目漱石
【なつめそうせき】
【日本史の雑学事典】 第8章 思想・生き方・考え方の巻 > 明治時代
■10 2年間のロンドン留学中、4回も転居した夏目漱石…5番目の下宿が歴史的建造物として指定される
1900年9月、夏目漱石は文部省からイギリス留学を命じられ、単身赴任する。10月にロンドンに到着し、それから1902年12月までの丸2年、漱石は同地で英文学の研究をおこなった。
だが漱石にとって留学生活は、「倫敦に暮らしたる2年は尤も不愉快の2年なり。余は英国紳士のあいだにあって群狼に伍する1匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり」(『文学論』)とあるように、かなり苦痛だったらしい。
漱石は、留学した2年間に4回転居している。
最初は、エバ・スタンレイの下宿に住んだが、食事の値段が高いので2週間でミス・マイルドの下宿へ転居。しかし、ここも家賃の関係から40日で引き払い、ブレット夫妻の下宿へ入居した。
ブレット夫妻は日本人贔屓で、下宿には漱石のほか、5人の日本人留学生がいた。2002年1月には、その当時実施されたイギリスの国勢調査の原本が公開され、そのなかに、ブレット家に下宿中の漱石らの記録が見つかっている。
ブレット夫妻は、経営していた学校で伝染病がはやったために学校を閉鎖、下宿も手放したため、漱石も4か月でこの家を出ている。
4番目に住んだ下宿も気に入らず、新聞広告を出して見つけた5番目の下宿で1901年7月から離英までの1年4か月余りを過ごした。
この、漱石が一番長く住んだ下宿が2002年2月、「イングリッシュ・ヘリテージ」という公的機関に史跡指定された。建物はすべて当時のままだそうで、ここを訪問すれば、漱石のロンドン時代を偲ぶことができる。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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