てつはう
【てつはう】
【日本史の雑学事典】 第3章 合戦・戦争の巻 > 鎌倉時代
■4 元軍が使用した幻の兵器「てつはう」を発見!…威嚇用で殺傷力なく、陶製だった
元寇で活躍した九州の御家人・竹崎季長は、恩賞の少なさが不満で幕府に直訴したが、そのさい持参した絵巻が、有名な「蒙古襲来絵詞」である。
ここには、元兵と奮戦している季長の勇姿が描かれており、その一場面に、黒い爆弾のような球が破裂して火を噴き、馬が驚いている様子が描かれている。そして球体のすぐそばに「てつはう」と記されていることから、それが、この妙な兵器の名称だと考えられている。
「てつはう」は、鉄の球体のなかに火薬を詰め、これに火をつけて爆発させるもので、いわゆる爆弾のような殺傷能力はなく、威嚇用だった。当時の日本には火薬というものがなく、火を噴き、煙を吐き、爆音を上げる「てつはう」に、日本の御家人たちは度肝を抜かれてしまったという。
この幻の「てつはう」が、2001年10月に長崎県北松浦郡鷹島町沖の水深10メートルの海底から引き上げられた。実はこの鷹島町は、元軍が2度に渡って来襲した島。1274年の文永の役のさいには、元軍によって島民は虐殺され、たった2人しか生き残らないといった被害を受けている。だが、1281年、弘安の役のときは、博多湾から引き上げた14万の元の船団が、台風によって、この鷹島町沖で全滅した。そのため、いまでも海底には、沈没した船団が眠っている。
今回引き上げられた3つの「てつはう」のうち、1つは完全な形で出てきた。直径14センチ、底部が平らで、上に直径4センチの穴が空いている。これが火薬を詰める穴だと考えられる。一番の発見は、鉄製ではなく、陶製だったことである。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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日本史の雑学事典[link] |