村八分②
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 社会 > 社会
「村八分」のような制裁は古くから行われており、村という共同社会ができた頃からあったようである。古くは中世に始まり、戦前まで続いていたのだ。
制裁のうち、罪の軽いものは罰金で、それ以外に絶交、追放といったものがあった。特に、絶交と追放は、地域社会から締め出されるということを意味しており、非常に厳しい制裁だ。絶交は、一切の交際が絶たれ、口もきいてもらえず、いてもいない扱いを受けてしまう。ひどいときは、頭巾をかぶらせたり、縄帯をつけさせたりもしたという。
最も重い追放では、道切りや道祖神で守られた安全な村から、村境に追いやられてしまう。これに伴うのは、孤独感にさいなまれ、寂しいといった精神的な問題だけではない。野武士が横行したり、辻斬りが時折現れたりというような時代の社会背景を考えると、身の危険を伴う非常に辛いものだっただろう。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全」東京雑学研究会 |
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