マリリン・モンロー
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 娯楽 > 映画
マリリン・モンローはハリウッド史上最大のセックス・シンボルとして、今も広く知られている。
モンローは精神障害の病歴のある母親の私生児としてロサンゼルスに生まれた。孤児院や里親のもとであまり幸福ではない少女時代を送った後、一六歳で結婚したが、その生活はながく続かなかった。離婚後、モデルを経て女優として売り出した。
ヘンリー・ハサウェイ監督の『ナイアガラ』では、腰を振って歩くセクシーな「モンロー・ウォーク」を披露。これが評判となって『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』などに出演し、フォックスの「マネー・メイキング・スター」と呼ばれるまでになり、その後も『ショウほど素敵な商売はない』『七年目の浮気』など、次々にヒットを飛ばし続けた。
一九五五年、プロ野球の人気選手ジョー・ディマジオと結婚して世間の話題をさらった。
けれども彼との結婚はたった二年で破局。離婚後すぐにモンローは作家のアーサー・ミラーと結婚してしまったが、ディマジオの方は未練タラタラだったようで、離婚後もモンローに求愛し続けていたという。
モンロー自身はフォックスの求めるセックス・シンボルとしての役に不満を持ち、ニューヨークで「マリリン・モンロー・プロ」を設立し、演技指導を受けるなどして、演技派女優への転身を目指していた。けれども、撮影現場では私生活の乱れと遅刻のくり返しのためトラブルを起こし続けた。
一九六二年、モンローは自宅で全裸のまま死体となって発見された。死因については自殺、事故死、他殺などと取り沙汰されているが、今もなお真相はわかっていない。
モンローを愛し続けていたディマジオは、彼女の死後二〇年間、墓に深紅のバラを毎週三回、六本ずつ供え続けていた。紅バラの花言葉は「情熱」。ディマジオはモンローの死後も、愛の告白に使われるこの花を墓に供えることでモンローに愛を送り続けていたのだ。
data-ad-slot値が不明なので広告を表示できません。
【関連コンテンツ】
広告を表示できません。
【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全」東京雑学研究会 |
|
“働きバチは1日6時間しか働かない”,“下手な医者をなぜ「ヤブ」と呼ぶのか?”,“『浦島太郎』のカメはオスかメスか?”……のような知的好奇心そそる雑学の集大成。なんと全1000項目!! |
|
出版社:
雑学大全[link] |