招き猫
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 生物の不思議 > 動物
小首を傾げて前足をあげ、何かを手招きしているかのような招き猫。これが、客を招く縁起のいい姿だとされ、商売繁盛を願う商家では、縁起物としてよく飾られている。
招き猫がうまれたのは、江戸時代初期のことである。彦根藩主の井伊直孝は、現在の東京・世田谷一五村の領主でもあった。ある日、その辺りに鷹狩りに出かけ、弘徳庵というさびれた寺の前を通りかかったところ、門前に白い猫がいて、手招きするようなしぐさをする。
直孝が、その寺に入ってみたところ、激しい夕立ちが辺りを襲った。また、そこで住職が説いた三世因果の法話に、たいそう感銘を受けた。
直孝は、不思議な猫に招かれて豪雨をしのぎ、ありがたい法話に接したことを何かの縁と考え、この寺を再興させることにした。一六三八(寛永一五)年には、この寺に寺領と堂塔を寄進し、井伊家の菩提寺とした。
大名家の後ろ盾を得た寺は立派に復興し、その後、直孝の戒名、久昌院豪徳天英居士にちなんで、豪徳寺と名を変えた。
猫は、再興のきっかけを作ったとしてあがめられるようになった。商人が、この寺に参って、猫の絵のお札や、猫の置き物を授けられると、商売が繁盛するといわれ、あやかりたいと願う参詣人が、江戸じゅうからやって来るようになった。
豪徳寺の境内には、招福殿という御堂があり、そこには子どもの背丈ほどもある大きな猫の置き物、「招福猫児(まねきねこ)」が納められている。猫塚もまつられており、たくさんの招き猫が奉納されている。
ちなみに、井伊直孝を手招きした猫は、白い猫だったという以外、わかっていない。そのためか、招き猫の置き物は、白いものがほとんどであるが、このエピソードが広く知られるようになるにつれ、三毛猫ふうや、黒猫の招き猫も作られるようになった。
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