ふんどし
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 生活 > モノ
世界に格闘技は数あれど、ふんどしスタイルで戦うのは、日本の相撲だけである。
動きやすいように、または着物が汚れないようにといって、あんな格好で戦っているわけではない。ふんどし一丁には、れっきとした理由がある、由緒正しいいでたちなのである。
記録に残っている最も古い相撲は、六四二(皇極天皇一)年に行われたものである。『日本書紀』に、百済からの使者をもてなすために、健児に相撲をとらせたと記されている。
六八二(天武天皇一一)年には、隼人たちが朝廷に貢ぎ物をして、帝の前で相撲をとったという。いわば、天覧相撲である。
隼人とは、南九州の先住民で、かつては朝廷と相対した間柄だった。彼らは、帝の前に出るときは、衣類をまとい、剣を帯びていたが、相撲をとるときにはそれらを脱ぎ捨て、下帯だけの姿になった。つまり、武装を解除してみせ、これからは大和朝廷に恭順することを表明したわけで、下帯だけというスタイルが、重要な意味を持ったのである。
その後、隼人たちは、相撲と歌舞で朝廷に仕えつつ、宮中の門の警護をしたり、行事に付き従ったりした。
宮中での相撲は長く続き、八世紀の聖武天皇は、全国の農村から相撲人をかり集めては、毎年七月七日に紫宸殿の庭で相撲をとらせた。
天覧相撲は、古くから農民の間で行われていた農耕儀礼の流れをくむものであり、朝廷では、この日、文人に詩をつくらせた。相撲は、単なる力くらべでもスポーツでもなく、神に仕える儀式だったのである。
相撲が、現代のようなプロスポーツの要素を持つようになったのは江戸時代からである。一六四五(正保二)年、幕府認定の相撲大会が京都で行われ、それが大坂や江戸にも広がった。そして、各藩が、お抱え力士を持つようになったのである。
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