中世フランスのヘアスタイル
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 生活 > 服装
日本では一〇年一日のごとく、宮廷文化が生まれた頃から女性は髪を切らず、長いままにしておくものだった。やがてそれを結んだり結い上げたりしていくことになるのだが、年齢や身分、立場により結い上げる髷の形を変えはしたものの、ヘアスタイルがファッションとなることはなかった。
一方ヨーロッパでは、貴族階級の女性にとって、ヘアスタイルはドレスと同じくらい自分の魅力を表現するものになりうると、婦人たちは競って工夫を凝らした。その結果、ちょっと度が過ぎて奇妙キテレツとしかいいようのないヘアスタイルが流行することにもなったのである。
いやちょっとどころではない。度が過ぎたといっても、頭上に五〇~一〇〇センチもの髷が立ち、それを宝石などで飾り立てることになったのだから、ムチ打ち症状を起こした女性もいたかもしれない。
きっかけは、ルイ一四世の愛人フォンタンジュ公爵夫人だ。夫人が王とともに外出した日、たまたま風が強かったので、夫人は乱れる髪をリボンで頭上に高く結んだ。これを「よく似合ってすてきだ」と王が褒めたため、側近たちも口々に追従した。
これですっかり気をよくした夫人。それからは頭上に髪をまとめて高く髷にするヘアスタイルを愛用した。これを見たほかの婦人たちも、こぞって髷を結い上げ始め、誰にも負けない高さにしようと、どんどん頭上に伸びていくことになったという。
それだけの髷を作るには、宝飾品で飾り立てて完成させるまで半日はかかり、その間じっとがまんしなければならないし、できあがっても重くて不安定で歩きにくかったことは確実だ。それでも、せっかく流行の先端になったヘアスタイルを見てほしくて、婦人たちは外を出歩くことをやめなかったそうだ。
最初に褒めた手前、ルイ一四世もとまどったが、「ほどほどにしたら」と注意をしたものの、女性の流行に対する執着心を見誤っていた。次のヘアスタイルが流行するサイクルが来るまで、二〇年間、この頭上の塔スタイルは続けられた。
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「雑学大全」東京雑学研究会 |
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