元号
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 そーだったんだ! > 由来
「昭和」「平成」など、日本には西暦の年号のほかに、元号がある。これは、ただの習慣ではなく政令で定められたものであり、この制度があるのは、世界じゅうで日本だけである。
この元号の考え方は、古代の中国から来たものである。中国では、皇帝の代がわりか、祥瑞(めでたいこと)があるたびに、元号が変えられた。周辺の国々は、中国の元号を記した国書を持った使者を中国に派遣し、従うという姿勢を見せなくてはならなかった。
日本で元号が使われたのは、六四五年のことである。蘇我氏を討伐し、孝徳天皇が即位した「大化改新」の際に、「大化」の元号が用いられた。続いて、「白雉」の世となったものの、元号はしばらく途絶えてしまう。天武天皇の時代に、いったん「朱鳥」が用いられたが、再び途絶え、続けて使われるようになったのは七〇一(大宝元)年からのことである。このときの大宝令で、公文書には、必ず元号を記すことが定められたため、政治の上で元号はなくてはならないものとなり、律令制度とともに確立したのである。
日本でも、天皇の代がわりや祥瑞、そして災害があると、元号が改められた。平安時代以降には、六〇年に一度巡ってくる辛酉の年、甲子の年に改元をしないと災いが起こるという讖緯説に基づいて、改元がなされている。
南北朝時代には、南朝の天皇と北朝の天皇が、それぞれ別の元号を用いた。
現代のように、一人の天皇の治世は一つの元号で通し、それを変えないという一世一元の制となったのは、一八六八(明治元)年からのことである。この年の九月八日の改元詔書で、「今より以後旧制を革易し、一世一元以て永式と為す」と布告されている。
中国では、清朝が滅亡すると、元号は使われなくなった。そして今では、日本だけが世界で唯一の元号を使う国となったのである。
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