着物
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 生活 > 服装
ふだんは着慣れない着物を着るとき、ふと迷うのは、打ち合わせを右前にするか左前にするかである。うっかり左前に着ようものなら、「それじゃ、死んだ人の着物よ。縁起でもない」と注意されることになる。
着物は、男女を問わず、自分から見て左の衽を右の上に重ねる右前で着るのが決まりである。
死者の経かたびらはこれと逆で、右の衽を左の上に出し、左前にして着せる。
こうするのは、死者にまつわるものは、生きている人間との区別をはっきりさせるために、ふだんと逆にするからである。枕元に置く屏風を逆さにし、北枕で寝かせるのも、同じ理由による。
だが、古代の日本人は、生者であっても、衣服を左前で着ており、それが当たり前だった。埴輪や、高松塚古墳の壁画の人物を見ると、左前に着ているのがわかるであろう。
これが右前になったのは、七〇一(大宝一)年の大宝律令が出てからのことである。大宝律令の服制には、男の盤領(=丸襟)、女の垂領(=V字形の襟)、ともに右前にせよと定められている。
大宝律令は、唐の影響を強く受けている。古来、中国の漢民族は衣服を右前で着ており、周辺の遊牧民が左前で着る風習を、野蛮人のものであると軽蔑していた。そして、周辺の遊牧民の衣服も、次第に中国の影響を受け、右前になっていった。
これにならって、日本でも衣服を右前で着るよう、令が下されたのである。
さらに、七一九(養老三)年になると、庶民の簡単な衣類に至るまで、着るものはすべて右前にせよということになった。これが、平安時代の公家装束にも受け継がれた。
こうして、日本では、生者の着物は右前、死者の着物は左前となり、それが現代まで続いているのである。
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