歌舞伎の発祥
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 趣味 > 芸術
日本の伝統芸能、歌舞伎。その歴史は近世初頭にさかのぼる。当時、戦国の世に非業の死を遂げた人たちの魂をまつる御霊会で「風流踊」なるものが流行していた。この「風流踊」を母体とし、踊る舞台芸能として成立したのが「歌舞伎踊」であった。中世の舞と違って仮面をつけず、振りをそろえて踊った。
最初の頃は、出雲大社の巫女であったというお国と名のる女性芸能者が京都に上り、「ややこ踊」と呼ぶ単純な小歌踊を演じていた。
やがて、当時横行していたかぶき者の風俗を舞台に採り上げ、「歌舞伎踊」としたところ、熱狂的に受けるところとなった。
都市に遊里ができるようになると、遊女たちが「歌舞伎踊」を「遊女歌舞伎」へと展開し、全国に流行させたが、「風俗を乱す」という理由で女性芸能はすべて禁止されてしまった。それに代わって台頭したのが、前髪の美少年演ずる「若衆歌舞伎」であった。この背景には、当時の社会の支配層で盛んだった男色、衆道がある。いわゆるゲイ(男性同性愛)である。
僧侶が女性と交われば破戒であるが、少年を相手にする抜け道があり、寺には稚児がいた。戦国の武将も戦場に女性を連れて行くことはできず、そばに美少年をはべらせていた。僧侶・公家・武将などの宴席で、稚児などが演じた歌舞音曲が「若衆歌舞伎」へと展開していったのである。
しかし、若衆好みのエスカレートとともに、風俗を乱すとして、幕府は「若衆歌舞伎」を禁じ、舞台に立つのは成年男子という決まりができた。これを「野郎歌舞伎」という。前髪を剃り落とし、野郎頭になること、扇情的な舞や踊でなく、「物真似狂言尽」を演ずることが条件であった。
これ以降歌舞伎は、演技術を工夫し、女形、立役、敵役などの役柄が成立。しだいに演劇への道を洗練させていった。風俗スケッチ的寸劇から、一定のストーリーのある劇的世界を獲得する。また、引き幕の採用で、劇の進行に時間的な飛躍も生まれ、筋も複雑になった。それは庶民の支持や人気を得、今日にいたっているのである。
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