悲しみの道
【かなしみのみち】
イエスが十字架を背負って最後に歩いた道
エルサレムの旧市街の東、アントニオ城塞から、ゴルゴダの丘へと続く約一キロの道のりを「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」と呼んでいる。この道は死刑をいい渡されたキリストが、茨の冠を被らされて重い十字架を背負って歩いた道である。早くからキリスト教徒の巡礼ルートとなっていたが、現在のルートが正式に決定されたのは一九世紀のこと。一四のステーション(礼拝所)があり、一三世紀末にフランチェスコ修道会士によって案内されるようになった。いま、ここを巡礼する教徒たちは一つひとつの場所でキリストの十字架の歩みを偲び、祈りを捧げながら歩むのである。この伝承が発展したのは、オスマン帝国時代(一六世紀半ば?後半)のことで、巡礼に負っている。ただし、ステーションの場所は現在のそれらとは限らない。イエスの身に起こった出来事と、それを記念する場所が時代によって異なってきたからである。一四の出来事のうち、九つは福音書の記述から解釈したもので、五つは伝承である。最初の二つの出来事はアントニオ城塞、次の七つは沿道、最後の五つはローマ皇帝コンスタンティヌス一世(大帝。在位三〇六?三三七年)の命によって建てられた、聖墳墓教会聖堂のなかにそれぞれ位置づけられている。そして最後はキリストが復活した墓の前で道は終わっている。現在は毎週金曜日、一時間にわたり、フランチェスコ修道会士によって、実物大とされる大きな十字架を担いでこの道程を行進する儀式が執りおこなわれている。これは、キリストが、悲しみの道を歩むように戒め、「自分の十字架を背負い、わたしの後に従わないものは、私にふさわしくない」といっていることと大いにつながりがあると思われる。その教えに従い、毎年春の金曜日(グッド・フライデー)には世界各国からも多くの信者が参加し、行進がおこなわれる。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820176 |