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日本史の雑学事典第9章 食と習慣の巻 > リスト

そば
【そば】

■4 「そば祖神」とあがめられた元正天皇…「二八そば」は江戸時代に登場
 「すし」同様に「そば」も純日本食だと思っている人がいるが、これも大きな間違いだ。
「そば」の原産地される場所については、現在も特定できていない。シベリアのアムール川流域が原産だという説もあれば、チベットやヒマラヤ地方だという説、バイカル湖周辺説、中国の雲南省だとする説など、さまざまである
 ただ、すでに縄文時代に「そば」は我が国に渡来しており、縄文晩期には焼畑栽培されていたのは確実である。渡来ルートは、雲南省方面から直接北九州へ入ったルートと、シベリアから朝鮮半島経由で入ったルートが有力と考えられている。
「そば」というと、いまの日本人には細長く切った麺にして食べるのが当たり前のような気がするが、そうした「そば切り」形式が生まれたのは、実は戦国時代に入ってからのことのようだ。それまでは、「そば練り」とか「そば掻き」と称して、団子のように丸め、煮たり焼いたりして食べていたらしい
 ところで、関西のそば業者のあいだでは、5月26日に元正天皇の御陵である奈保山西陵(奈良県奈良市)へ参詣する風習が残っている。同日は、元正天皇の命日である
 元正天皇と「そば」に、どんな関係があるのだろう
『続日本紀』によれば、722年、元正天皇は「そば栽培を奨励し、これを貯蔵せよ」という詔勅、勧農の詔を発している。このため、「そば」の生産が盛んになり、元正天皇を「そば祖神」と呼ぶようになったのだ。
「そば」は、どんな辺鄙な痩せた土地でも、さして世話をしなくても育ち、生育期間も短いことから、荒蕪地や山間部などでは主食のような存在となっていた。そうした地域から「そば」の名産地が生まれている。
 老舗のそば屋に「藪」とか「砂場」という名称が多いのは、「不毛の地で育ったおいしいそば粉を使用していますよ」という意味が込められているのだそうだ
 イギリスフランス、ドイツなどヨーロッパでも、不毛な土地の住民たちは、200年前ぐらいまで、日本と同じように「そば」を常食としていたと伝えられる
 さて、我が国で「そば」を食べさせる店ができたのは江戸時代の寛永年間、1664年のことだとされる。ただ、店のメインは小麦粉でつくった「うどん」のほうで、「そば切り」はラーメン屋でのチャーハンのような存在だった。だが、元禄時代になると、「うどん」よりも「そば」のほうが人気メニューになっていく。
 この頃の「そば」はまだ、つなぎとして小麦粉を混ぜておらず、麺にしてゆでると細かくちぎれてしまい、人々はゆでるよりもむしろ、蒸して食べるほうを好んだという。
 日本で最初の蕎麦専門店は、江戸・浅草で開業した正直仁左衛門の店だとされている。享保年間(1716~36年)のことである
 この頃には「二八そば」(小麦粉2割にそば粉8割)といって、つなぎに小麦粉を使用するようになり、すっかり現代と同じ「そば」になった。
 でも、昔は年間を通して「そば」を食べる風習が、いまよりずっと多かった。現在でも「年越しそば」を食べたり「末永くよろしく」ということで、引っ越しのさいに近所へ「そば」を配る習慣が残っているし、地方によっては、「結納そば」とか「節句そば」、「元旦そば」という風習もあるそうだ。人生の節目に「長生きできますように」との願いを込めて食べるだろう




日本実業出版 (著:河合敦)
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14625105


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:河合敦
価格:1,404
収録数:136語
サイズ:18.6x13x2.2cm(四六判)
発売日:2002年6月
ISBN:978-4534034137

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