藩札
【はんさつ】
【日本史の雑学事典】 第5章 政(まつりごと)の巻 > 江戸時代
■5 藩札はどんな目的で発行されたのか?…藩財政の窮乏化でやむなく流通
現在、国内で貨幣発行権を握っているのは、唯一日本政府だけであり、都道府県が独自のお金を発行することはできない。しかし、江戸時代は幕府だけでなく、大名も貨幣を発行することがあった。これを俗に「藩札」と呼んでいる。
日本で初めて幕府の認可を受け、正式に藩札が発行されたのは、1661年の福井藩(当時は福居と書いていた)においてであった。これは、城下町の経済の発達に貨幣量が追いつかず、藩で貨幣を鋳造したのだとされる。ちなみに藩札は基本的に紙幣で、金や銀、あるいは銭や米と交換できるのを建前とした。そうしないと信用がつかず、貨幣価値が暴落してしまうからである。福井藩の藩札は銀札(銀と交換できる紙幣)だった。
やがて、和泉岸和田藩、尾張藩が藩札を発行し、江戸の中期には、多くの藩が藩札を刷った。
藩札の発行は、貨幣経済の発展に対応するというより、財政の貧窮を藩札によって補うのが目的だった。そのため、藩の信用はがた落ちになり、藩札が嫌われるので、藩内の豪商に保証してもらう形式をとることも少なくなかった。
藩札は原則として、藩内だけで流通するものだったが、密かに投機の対象ともなった。たとえば米札なら、米相場が下がったときにこれを購入し、上昇したら売って儲けるのだ。だが、投機に危険がつきものなのは、いまも昔も変わらない。もっとも恐いのは、藩は幕府の許可を得て藩札を無効にできる、ということである。
旗本や大寺院も幕府の許可を得て私札を発行することができ、藩札より信用が高かったという。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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