奇跡
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 社会 > 宗教
日本語の聖書の中には同音異義語があって紛らわしいことがある。発音が同じでも漢字は違うし意味も違う。
例えば「よげん」という発音に対して、「預言」と「予言」の二つの言葉が対応する。「預」は「あずける」で「予」は「あらかじめ」だから、「預言」は神様が人間に預けた聖なる言葉で、つまり神託だ。それに対して「予言」はあらかじめ述べる言葉で、予想、予知をしたもののこと。
聖書の中で「預言」は聖なるものとされているが、「予言」については「占いや呪術を行ってはならない」(レビ記)と禁止されている。
また「奇蹟」と「奇跡」も読みは同じだが意味が違う。
「奇跡」は理屈で説明ができない摩訶不思議な現象だが、「奇蹟」は神様がなにかの意志を持って起こしたことで、神様の力を現実に見せることのできるもののことをいうのだ。
キリスト教は常に高度に発達した哲学や科学と密接な関係を持ってきたため、奇蹟のありようについても厳しく調査する伝統を培うことになった。「奇跡的」なできごとが起こるたび、それが「奇蹟」なのかどうかを認定する審査委員会が開かれて、教会が認定したもののみが「奇蹟」と判定されるようになり、「奇蹟の条件」まで定められることになったのだ。
近代での最も有名な奇蹟は一八五八年、南フランスのルルドで少女ベルナデットへの聖母マリアの出現と、その出現場所に湧き出した泉の水が難病治療に効果を見せたことだ。
一八八二年以降、常設医師団が調査していたが、一九〇三年、後にノーベル医学賞を受賞したA・カレルが巡礼団付医師としてルルドを訪れ、自分が診察した瀕死の患者が泉の水によって治癒するのを確認した。これ以降、ルルドの泉に関する科学的研究が始められることになった。
カトリック教会は数度にわたる調査を経て、一九二三年に聖母出現を公式に事実として認め、一九三三年にベルナデットを列聖し、泉の水による治癒事例のうちいくつかを奇蹟に認定した。
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