東京駅復元
【とうきょうえきふくげん】
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(概要)
東京駅丸の内駅舎が2012年10月1日、戦災で焼失したドーム屋根と三階部分の復元工事を目玉に大型リニューアル開業した。東京駅は1914年(大正3年)12月に開業し、赤レンガ造りの3階建ての駅舎は、日本銀行本店など国内の近代建築で先鞭を振るった辰野金吾(1854~1919)が設計。南北にドーム屋根を設置し、首都の玄関口にふさわしい威容を誇った。45年5月の空襲でドーム屋根と3階部分を焼失。戦後は焼失部分の復元は見送られ、八角形の屋根で覆う形で修復された。しかし復元運動が盛り上がり、JR東日本は99年に復元工事を決定。2003年には建物が国の重要文化財にも指定され、07年に着工した。今回のリニューアルで往年のデザインによるドーム屋根と3階部分が復活、ホテルやギャラリーなども併設される。
(解説)
東京駅は、東海、東北など各新幹線が発着するターミナルステーションであるため、通常業務を行いつつ、しかも国の重要文化財である駅舎を保存する課題もあった。このため、5年に渡るリニューアルは難工事を強いられた。創建された大正時代のムードが漂う外観ではあるが、首都直下地震に備え、免震装置など最新の耐震技術を導入。しかしその耐震工事でも、鉄筋コンクリート製の新しい杭を打ち込む際、創建時の基礎工事で地中に埋め込まれた約一万本もの松杭を抜き取るなどの難しい作業を行う必要があった。1923年の関東大震災に駅舎が耐えられたのは、この無数の松杭の働きであり、駅舎を創建した辰野の技術が高かったことを改めて証明した。
また、東日本大震災も復元工事の話題性を高めた。復元ドームの屋根に使われる「スレート」(粘板岩で作る薄板)の一部は、宮城県石巻市・雄勝地区の業者「熊谷産業」に発注されていたが、震災時の巨大津波により、2万枚を流され、残った4万5千枚も汚泥にまみれるなど被災した。工期の遅れへの懸念から、JRと施工業者の大手建設会社は一時、スペインへの発注に動き出していたが、「残ったスレートは洗浄を行えば使える」という熊谷産業の訴えが市民運動の後押しもあって結実。同社の約4万枚のスレートが使われることになった。
外観は復元の話題で目白押しの駅舎だが、内部では新しい商業・文化施設が併設される。東京ステーションギャラリーの3階部分は現代的な壁面展示を売りにし、東京ステーションホテルは利便性と洗練されたサービスを打ち出す。1階では百貨店・松屋が小型店を出し、地下にはスポーツクラブやエステも開業。新たに始まる夜間のライトアップも人気を呼びそうだ。全国の都市部で主要な駅ビルの再開発が進む中、東京駅復元は伝統と革新を両立したリニューアルといえる。
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