三菱
【みつびし】
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時は1870(明治3)年。明治政府によって藩営事業が禁止されつつある中、土佐藩は自らの海運事業を私商社として独立させる道を選んだ。こうして土佐藩士たちにより設立されたのが、三菱グループの原点となる九十九商会(つくもしょうかい、九十九は土佐湾の別名)だ。
この時創業者の一人に、後に三菱グループの創始者となる岩崎彌太郎(やたろう)がいた。彌太郎は土佐の貧しい武家に生まれたものの、不屈の意志で学問の道を志し、「吾れ、志を得ずんば、ふたゝび此の山に登らず」と江戸で学問を修め、後実業界で大成した立志伝中の人物である。
ちなみに、この九十九商会は土佐藩から払い下げられた3隻の汽船を所有していた。その船旗号に使われたのがスリーダイヤである。スリーダイヤは土佐藩主だった山内家の「三ツ柏」の家紋と岩崎家の家紋「三階菱」を組み合わせたもので、これが後に三菱の社名・シンボルマークに使われることになる。
さてその後、九十九商会は三川(みつかわ)商会と名を変え、ついに1873年、彌太郎自身が社長となるに至って三菱と名乗るようになる。以後、三菱商会、三菱商会、三菱蒸汽船会社、郵便汽船三菱会社と改名を重ねながら、活発な活動を展開。彌太郎の弟で二代目社長となった弥之助の時代を経て、彌太郎の長男で三代目社長となった久弥の時代を迎えた頃には、三菱は日本を代表する一大財閥となっていた。
敗戦後の1946年には、GHQにより一時的に解体を余儀なくされたものの、その数年後から再び三菱系の各企業は緩やかな提携関係を結ぶようになり今日に至っている。ちなみに、三菱にはグループ全体を統括する持ち株会社はなく、今日「三菱グループ」といっても正確な定義はない。共同で広報活動を行う三菱広報委員会には45社が所属しており、その中には三菱という名を冠しないキリンビール(株)や(株)ディーシーカード、(株)ニコンなども含まれているが、こうした企業も三菱グループと理解されることが多い。(文中敬称略)
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